昨日父は帰らぬ旅路についた。 おとといの夕方、私は泊まるつもりで父の様子を見に行った。 いつも日曜日に、夕食を共にすることになっていた妹が、急用が出来たので、代わりに行って欲しいという。 3時過ぎに行くと、父は点滴が終わったばかりで、眠っていた。 熱が高く、苦しがっていたが、痰を引き、水分補給の点滴が終わって、少し楽になったらしい。 数日前から、もう自分の口から食べたり飲んだり出来なくなった父は、点滴だけで生きていた。 熱もあるので、命の終焉が近づいているのかも知れないと思い、妹たちと交代で、見舞っていた。 「きょうは泊まっていくから」というと、母は、ホッとした顔をした。 疲れの目立つ母を、少し休ませたいと思い、妹が帰った後、父と母が見えるところに、椅子を置き、仮眠した。 介護士が、夜中でも、ちょくちょく来て、世話してくれる。 その度に母は起きて、一緒に様子をのぞき込む。 父は時々苦しそうな息をした。 口が乾いているのだ。 何か飲ませてやりたいとどんなに思ったことか。 だが誤嚥の可能性があるので、禁じられていた。 明け方、介護士に「脱水があるようだけど、息が苦しそうなのは、それもあるのではないですか」というと、「朝、ドクターの回診もありますから、様子を見て、点滴をするかも知れません」と言った。 朝になり、看護婦さんに啖を引いてもらった父は、楽になったらしく、穏やかな寝息を立て始めた。 しばらく様子を見ていたが、父は静かに眠っていた。 良かった、そのうちに医師も来るだろうし、妹も、昼頃来ると言っていた、今のうちに自宅に帰って、また来ようと思い、父のもとをはなれた。 家に帰り、シャワーを浴びた。 暑い日だった。 しかし、その間に父は、寿命が尽きてしまったのだ。 電話を掛けて来たのは、母だった。 涙声ではあるが、しっかりしている。 すぐに別の妹に知らせたが、二人とも電話口で泣いてしまった。 あのまま、父のそばにいれぱよかった、後悔に胸がしめつけられる。 タクシーでかけつけ、父の顔を見ると、生きているようだ。 触るとまだ暖かい。 私も、妹たちも間に合わなかった。 そう、思うと、また悔いの涙が溢れる。 こんなことなら、夕べ、沢山水を飲ませてあげればよかった。 もし、誤って窒息しても、父にとっては、命の水になったかも知れぬのに。 でも、最後に目を開け、母の顔を見て、うなづいたと言う。 それが別れだったのだろう。 母のそばで亡くなってよかった。 父は五月生れ。 誕生日が来れば、96歳になるはずだった。 五月の訪れを待つかのように、晴れた空の向こうに行ってしまった。 父の行った先には、たくさんのきょうだい、友人たちが、酒好きな父のために、酒宴を用意して待っていてくれるだろう。 この世とあの世を隔てる橋を渡る時、父は何を思っただろう。 残された私たちには悲しいが、人間らしく死を迎えてよかった。 今はそう思っている。
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