先月肺炎で入院し、幸い大過なく、1週間後に退院した父だったが、やはり、徐々に衰えが進み、一昨日あたりから、また熱が出始めた。 両親は介護付きマンションで4年前から暮らしており、医者も看護婦も、常駐している。 21日に医者から話があるといわれ、二人の妹と共に、親たちの居るハウスに行った。 入院時にも、病院の主治医から言われたことだが、母も私たちきょうだいも、無理な延命治療は受けないという点では、ほぼ同意している。 なるべく自然体で、父の持っている寿命のままに、穏やかな終焉を迎えることを、望みたいというと、ハウスの医師も、同意見であったので、「じゃ、原則入院しないで、ここで、出来るだけのケアをするということでいいですね」と言うことになった。 誕生日が来れば96歳になる高齢である。 昨年終わり、父の10歳下の弟が亡くなり、8人兄弟のうち、父だけが残っている。 明治生まれ、戦争も飢餓の時代もくぐり抜け、その生命力はハンパではない。 しかし、退院後は、移動には、車椅子を使うようになり、このひと月、ハウスで調理してくれる刻み食を食べていたが、大分飲み込みが悪くなっていて、時に噎せるようになったという。 入院の原因も、誤嚥性肺炎だったので、また同じ事が起こる可能性があり、ハウスのスタッフも、よくケアしてくれているが、「もう口から食べたり飲んだりは、無理かも知れません」という医師の話があった。 「万一の時に、入院させますか。それとも、ここで、なるべく負担のかからないケアをしながら、過ごしますか」という選択を迫られた。 母は、自分のそばで、最後まで看取りたいという。 入院しても、今以上の回復が望めるかどうかは分からないし、病院通いも、母は自分で出来ないから、ここで、目の届くところで、見ていたいというのだった。 私たちは、母の気持ちを尊重することにした。 なんと言っても、七〇年の歳月を、共に生きてきた夫婦である。 特に母の方は、今は、父だけが生き甲斐のようになっている。 「一日でも、お父さんより長く生きて、ちゃんとあの世に送りたい」というのが、93歳になった母の思いである。 その思いだけで、頑張っている母である。 そこには、子どもの私たちの及ばない世界がある。 一昨日からまた熱があるという妹の電話があり、昨日、父の様子を見るために、行ってみると、父は水分と栄養補給の点滴の後、すやすや眠っていた。 そのそばで、母は、父の手を握って、話しかけたり、頭をさすったりして、見守っていた。 日頃の食事は、ほかの住人たちと一緒に、食堂ですることになっているが、最近は、母が、自室で、父を見守りながら食べている。 昨日私が、「夜まで居るから、少し眠った方がいいよ」というと、母は「それなら、お風呂に入ってくるから、お願い」と言って、上の階にある風呂場に行った。 母は、自室の小さなユニットバスを嫌い、ハウスの共同浴場に行く。 大きくて、ゆっくり出来るからいいのだという。 一人で大丈夫かと心配するが、スタッフには声をかけていくし、たいてい誰かが一緒なので、大丈夫だという。あまり長湯の時は、スタッフが様子を見に来るらしい。 母の居ない間、父の呼吸が少し速くなってきた。 座薬で熱が下がっていたが、少し上がってきたらしい。 体温を測ると、7度7分ある。 ちょうど見回りに来た看護婦に、診て貰った。 「アイスノンを替えて、様子を見ましょう」と言って、帰っていった。 やがて母が戻って来た。 「ゆっくりお風呂に入って気持ちよかったわ」と、喜んでいる。 母の夕食が運ばれ、私は、母が作ってあったものや、途中で買ってきたサンドイッチなどを食べた。 ずっと眠っていた父が、そのころになって目を開けた。 私の顔が、分かるかどうか。 すっかりやせて、手も足も細くなっているが、じっと私の顔を見ている。 父の手を握ると、目から、ひとしずく涙がこぼれた。 何も言わないが、気持ちが分かる。 誰に対しても、感謝の心を忘れない父である。 母が「お父さん、少し笑ったみたい」と言う。 「安心して眠っていいよ」と言い、母が頭を撫でてやると、父はうんうんと頷くようにして、目を閉じた。 父は間違いなく、生きることを欲している。 鼻からチューブが繋がれたような状態は望まないが、こうして、命の終わりを見ていくのも、つらいことである。 人の、最後の姿というのは、どういう形が望ましいのだろう。 今朝の妹の電話は、夜勤の看護婦さんからの報告を伝えるためだった。 父と母が私の家で過ごした3年間に、きょうだいの間で、いろいろな行き違いがあり、何もない時は、ほとんど付き合いもなくなってしまったが、先月の父の入院をきっかけに、また妹たちとは、電話などで、様子を知らせあっている。 きょうだいなど、居ない方が、親の介護がしやすいと思って過ごした3年間だった。 でも、とりあえず、父を見守り、やがて、母を送るまで、裏に確執を秘めたきょうだい付き合いを、せねばならないだろう。
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