中世文学なんかに浸かっている間に、季節は移りすぎて、彼岸も過ぎ、今日は3月最後の週末。 いい天気である。 連句の会も一つあるが、こちらには昨年からほとんどご無沙汰。 連句の会も、さまざまあれど、メンバー構成もいろいろで、進んで行きたい会と、あまり気の進まない会とある。 一昨日の会は、個人で連句会を主催している人が、一月前から呼んでくれていたもので、メンバーは常連の3人に、その都度、違うメンバーを3人加えて、やっているようだ。 1月にも呼んで貰い、今年2度目。 いずれもいいメンバーで、楽しく、闊達な座だった。 11時から午後5時でピタリと終わる。 ずるずると2次会まで、引きずらないところも、かえってすっきりしていい。 主催者は男性。 ほかのメンバーはみな女性。 中高年ばかりだから、今更おとこおんなもないようなものだが、やはり女の声は姦しい。 「女のおしゃべり、うるさくないですか」と訊いたら、「いやあ、同じウルサイなら女性の方が、いいですよ。男は、蘊蓄垂ればかりだからね」という答えが返ってきた。 フムフム、なるほどと、いくつかの顔が浮かんできたが、ほかの人が思い浮かべた顔と同じだったかどうか。 忌憚ないおしゃべりの中でも、ある一線を越えないところが、常識をわきまえた中高年グループの良さである。 こういう会には、呼ばれれば喜んでいくことにしている。 今日の連句会も、ひと頃まで、進んで行っていたが、昨年合唱の練習とかちあって、ご無沙汰しているうちに、だんだん雰囲気が合わなくなった。 「たまには来ませんか」という誘いが前回あって、気持ちも動いたのだが、結局足が向かなかった。 そんなわけで、今日も、久しぶりの麗らかな春の一日を、家で過ごすことにした。 この時期、花粉症の夫は、外の空気に触れたくないと言うので(そのくせ夜の飲み会には出かけていく)、毎年、春彼岸の墓参りは私一人で行っていたが、先々週の14日、少し寒いが、花粉も少なそうだと言うことで、夫の運転で、思い切って早めの墓参に行った。 彼岸の中日の頃は殺人的に込むが、その日は、平日で道もすいていたので、すいすいと、霊園に着いた。 高台にある墓地は寒かったが、人が少なくて、静か。 いつもよりゆっくりと、墓地の周りをきれいにし、植木の手入れもし、花を生け、手を合わせた。 ここには、夫の両親と、生まれてすぐ死んだ弟が眠っている。 霊園内のレストランで、遅めの昼食をすませ、帰路についた。 毎年よ彼岸の頃に寒いのは 鷹羽狩行 この句は、作者の母親が言ったことばをそのまま句にしたとか。 確かに、彼岸過ぎから、大分春らしくはなった。 台風のような荒れた風の日も、何日かあったが、やがて、春も終わりにはいる。 21日、甥の結婚式。 WBCで日本が優勝。 めでたさ一杯の一日が終わり、昨日は、父母のところへ。 父は私の顔がわからないようだったが、母は、先週引いた風邪の具合も良くなり、声も、普通に戻っていた。 孫の結婚式に出るつもりでいたのだった。 春宵や母の涙の皺伝ひ
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