もう一昨年10月のことになるが、イラクで香田証生さんが、殺害された。 当時、日本人にとっても危険だと言われていたイラクに、何故、単身幸田さんが入ったのか、理由はわからないが、テロ組織に拉致され、数日後に無惨な死という結果になった。 香田さんは、身の危険を感じて、イラクから去ろうとしていたところをつかまったようだが、犯人たちの前に座らせられ、カメラに向かって、「済みませんでした。日本に帰りたい」と訴えた。 そのときの、息をのむような表情を、私は正視出来なかった。 親たちの気持ちを考え、また、香田さん自身の、死の恐怖の中で、縋ろうとしたかすかな望みを思うと、何とも言えない気持ちになった。 日本政府も、手をこまねいていたわけではないだろうが、犯人グループの「自衛隊撤退」という要求はのめず、期限が来て、香田さんは、殺害された。 両親は、日本政府に対して、声高に、息子の救出を要求したりしなかったが、本当は、生きて帰ってくることを願っていたはずである。 しかし、その半年前に、イラクで捕らわれた日本人3人の救出を巡って、世間では、いわゆる「自己責任論」が主流を占め、また、アメリカ、そのほかの、イラク駐留の外国人軍人、民間人が犠牲になったりしたこともあり、「自衛隊を引き上げて香田さんを救え」などと言う意見は、とても、受け入れられない空気があった。 致し方なかっとと言えばそれまでだが、やはり私は、みんなで見殺しにしたという気持ちを拭えなかったし、今でも、それを思うと、心が痛む。 憎むべきは犯人グループである。 そして、そのうちの一人が逮捕されたというニュースが入った。 「イラク治安当局により逮捕された国際テロ組織アルカイダ系のテロ容疑者の男が、香田さんの殺害を自供、当局が起訴していたことが1日までに分かった。男は捜査官同席の下で、時事通信イラク人通信員の取材に応じ、香田さんを殺した時の模様などを詳細に語った。」 犯人であることは、どうやら間違いなさそうである。 その報に対し、香田さんの父親は、「犯人が捕まって嬉しいという気持ちはない。今は、なぜ息子が殺されなければならなかったのかという、空しさだけです」と語った。 病気の祖母の世話をしたり、気持ちのやさしい子だったと、当時語っていた母親。 両親にとっては、異国でたった一人、恐怖と苦痛の中で、無惨に殺害された息子のことを思うと、この一年半近くの間は、言葉に尽くせない日々だったろうと想像する。 そして、息子を悼む気持ちさえ、表明することを憚るような、あのころの空気。 あらためて香田さんの冥福を祈り、いつまでも、記憶に留めたい。 当時書いた日記を書きに表示しておく。 「一掬の涙を!」
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