沢の螢

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ベビーブーム60年後
2006年02月27日(月)

来年はいわゆる団塊の世代が一斉に60歳になり、社会の一線を退き、家庭や地域社会に帰って来るというので、それなりの懸念も、起こっているようだ。
プラスの面としては、今まで、頭がつかえていた世代が居なくなることによって、職場では、若年層の活躍する場が増え、全体が若返るということがある。
人件費も、少し減るであろう。
60歳と言っても,今の時代老人とは言えない。
まだまだ元気だし、新しいことにも、チャレンジする気持ちもあるので、違った場所で、力を発揮して、世のため、人のために働けるエネルギーがある。
これは、その世代を、好意的に見て、プラス評価した場合である。
問題は、団塊世代が大量に世の中に跋扈しはじめることによって、考えられるマイナス面。
私の末の妹夫婦が、ちょうどまさに団塊の世代。
同じ親のもとに生まれ、同じ家に育っても、こうも考え方、価値観が違うかと、思うことが少なくない。
やはり、人間は社会的動物であり、育った家庭の影響よりも、社会や学校で受けた影響の方が大きいのかと思うし、時代背景の差もある。

団塊の世代は、戦後のベビーブームに生まれ、混乱した戦後の状況の中で、育ってきた。
物質的にも、恵まれず、親たちは、まず、明日の食べ物を確保するのに必死だったから、ゆとりを持って、子どもを育てる余裕はあまりなかったと思う。
本来、家庭でしつけるべきことも、なおざりにされたりしている。
そんな中で、成長し、小学校、中学校と進むのだが、何しろ数が多い。
公立の学校は次々と学級を増やし、校舎を建て増し、お金のある子どもは私立に行くが、それも、競争が激しく、常に、人としのぎを削って、大人になっていく。
彼らが大学に入る頃、学園紛争が起こるが、少し上の私たちの世代の学生運動と違うのは、ゲバ棒を使い始めたことである。
60年代世代も、安保闘争や原水爆禁止運動など、いろいろな活動をしたが、座り込みやジグザグデモや、警官ともみ合ったりしても、ともかく素手であった。
これが70年世代となると、次第に激しい暴力を伴ったものに変わり、ゲバ棒や火焔ビンなどの武器を使うようになり、内ゲバと言って、仲間内での、殺し合いなどが出てきた。
教師たちを軟禁状態にして、要求を突きつけた学園紛争は、この世代である。
大学生だった妹が、活動仲間の男子学生たちのために、支援のおにぎりを持っていくというので、母親が朝早く起きて、大量のにぎりめしを作ったという話を聞き、すでに結婚して一児の母になっていた私は、激怒した。
「偉そうなことばかり言って運動するんだったら、親なんかに助けを頼むんじゃないよ。おにぎりくらい自分で作りなさいよ。それに、口では理想的なことを言いながら、女子学生におにぎりを作らせる男どもって、何なのよ」と私は妹に言った。
頭でっかちな学生の思考というのは、足が地に着いていないのである。
それは、私にも、覚えはあるが、少なくとも、学生運動に、親の手を借りたことはなかった。
そして、いくら大学改革のためだからと言って、仮にも、自分の先生たちを、何日も、教室に閉じこめて、自分たちの要求を迫るなどと言うのは、考えられない無礼なことだった。
「私たちは、生まれた時から、ずうっと競争の中で生きていくんだから、古い物は、どんどん壊して行かなくちゃ、居場所がないのよ」と妹は反論した。
熱血漢だった私の父は、妹のやっていることの意味や、学生たちの考えが知りたいと言って、家族が止めるのも聞かず、単身、駅前に出かけていき、学生の屯している中に乗り込んで、議論したそうだが、母は、帰ってくるまで、ずいぶん心配したらしい。
この世代が、社会に出ると、それまでの高邁な主張はどこへやら、多くは見事に体制に同化してしまい、一部は浅間山荘事件に繋がる過激なテロに走って、大衆の支持を失っていく。
その後は、日本が豊かになるにつれて、学生運動も影をひそめてしまった。
そして、団塊の世代が60歳を迎える。
この世代は、まだ、リタイアしていない人が多いので、地域のボランティア活動や、趣味の会でも、まだ、家庭人としての女性と、少数の男性が参加しているだけだが、やがて、いろいろな場に、入ってくることになるだろう。
昨年、たまたま、誘われて、近くのシルバー人材センターと言うところを覗きに行った。
シニア世代が、自分の特技や才能を生かして、地域社会のために、働いたり、奉仕したりすることを唱い、報酬はわずかだが、それに生き甲斐を持ち、地域の人たちとの交流が目的である。
パソコンを使って、自分に出来ることがあればと、説明を聞きに行ったのである。
「2年ほど経つと、団塊の世代が、どっと入ってきますので、今のうちに、基礎を作っておかないと・・」という主催者の説明が印象的だった。
内容はわからないが、今までのように行かなくなると言うような、漠然とした危機感を持って居るのである。
多分、その言葉を裏付ける事由が、いろいろあるのだろうなと想像した。
私自身、趣味の会で、「あれ」と思うような感じを、その世代の人たちに持つことが少なくないからである。
抜け駆け、自分本位、目立ったことはするが、陰で人を支えるような地味なことはやりたがらず、自分の得になるところだけで付き合うといった、ドライな面を、私たちよりは持っていそうである。
その世代の女性に、手ひどい仕打ちを受けた経験を持つ私は、手放しで信用してはいけない感じを彼らに抱いている。
その世代の人が読んだら、おそらく不快感を持つであろう。
あくまで、私の偏見であることを、断っておく。



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