私が受けた不快な経験の一つに、こんなことがあった。 「電話やファックスは音がするし、手紙はしまっておくところがないから」と言って、コミュニケーションの手段に、メールを多用していた人がいた。 他人のことだから、そんなことは構わないが、たくさんの相手とメール交換をしていると、時に混乱するらしく、他の人宛のメールが私に来たり、当然私に送って来るはずの連絡メールが、送られてこなかったりと言うことがあった。 おそらく本人も、手に余るほどの、膨大なメールの量だったのかも知れない。 ある時、突然、一方的に私を非難するような詰問調のメールが来て、私はビックリした。 そんなメールが来るまでには、当然、前提となるような事実がなければならないし、そこに至るまでの、いくつかの段階があるはずだが、いきなりの詰問に、私には、思い当たることがない。 文面から考えられるのは、私の知らないところで、いつからか、私に関する何かが、メールで情報交換されていて、一方的に、私が悪者にされているらしいと言うことだった。 そして当の本人である私には、何も、知らされずにいたことになる。 人の集まるところでは、そうした誤解や曲解は、よく起こることではある。 しかし、そうした事柄の真偽を、私に直接確かめもせず、片方からの情報のみを鵜呑みにして、一方的に、私を非難するメールを送ってきたことに、私は驚きと同時に、深く失望した。 メールを多用している人たち同士のつながりには叶わない。 多勢に無勢である。 ルールに沿って、善意で使えば、こんな便利な手段はないが、ひとたび、間違えれば、人間関係を壊し、人を誹謗中傷する道具になる。 このことで、私は一時人間不信に陥ってしまった。 子どもたちの間で、メールによる虐めがあるという話も聞くが、よくわかる。 悪意のあるところでは、他人をどんな風にでも、陥れる手段として、メールが利用されることもある。 能面のような表情のなかにも、刃物が潜んでいる怖さ。 どんな人の、どういう場所に流れるかわからないメール。 それが、法廷にまで持ち出される時代。 今回のメールの信憑性はともかく、個人レベルでも、こういうケースは、これから起こって来るであろう。 よほど信頼出来る相手とでなければ、うかつにメールなど使うべきでないと思う。 今、私のアドレス帳には、常時メール交換する相手は、10人足らず。 やむを得ない場合のほかは、なるべく、メール以外でコミュニケーションを図るように努めている。
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