沢の螢

akiko【MAIL

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メールの怖さ(2)
2006年02月20日(月)

私が受けた不快な経験の一つに、こんなことがあった。
「電話やファックスは音がするし、手紙はしまっておくところがないから」と言って、コミュニケーションの手段に、メールを多用していた人がいた。
他人のことだから、そんなことは構わないが、たくさんの相手とメール交換をしていると、時に混乱するらしく、他の人宛のメールが私に来たり、当然私に送って来るはずの連絡メールが、送られてこなかったりと言うことがあった。
おそらく本人も、手に余るほどの、膨大なメールの量だったのかも知れない。
ある時、突然、一方的に私を非難するような詰問調のメールが来て、私はビックリした。
そんなメールが来るまでには、当然、前提となるような事実がなければならないし、そこに至るまでの、いくつかの段階があるはずだが、いきなりの詰問に、私には、思い当たることがない。
文面から考えられるのは、私の知らないところで、いつからか、私に関する何かが、メールで情報交換されていて、一方的に、私が悪者にされているらしいと言うことだった。
そして当の本人である私には、何も、知らされずにいたことになる。
人の集まるところでは、そうした誤解や曲解は、よく起こることではある。
しかし、そうした事柄の真偽を、私に直接確かめもせず、片方からの情報のみを鵜呑みにして、一方的に、私を非難するメールを送ってきたことに、私は驚きと同時に、深く失望した。
メールを多用している人たち同士のつながりには叶わない。
多勢に無勢である。
ルールに沿って、善意で使えば、こんな便利な手段はないが、ひとたび、間違えれば、人間関係を壊し、人を誹謗中傷する道具になる。
このことで、私は一時人間不信に陥ってしまった。
子どもたちの間で、メールによる虐めがあるという話も聞くが、よくわかる。
悪意のあるところでは、他人をどんな風にでも、陥れる手段として、メールが利用されることもある。
能面のような表情のなかにも、刃物が潜んでいる怖さ。
どんな人の、どういう場所に流れるかわからないメール。
それが、法廷にまで持ち出される時代。
今回のメールの信憑性はともかく、個人レベルでも、こういうケースは、これから起こって来るであろう。
よほど信頼出来る相手とでなければ、うかつにメールなど使うべきでないと思う。
今、私のアドレス帳には、常時メール交換する相手は、10人足らず。
やむを得ない場合のほかは、なるべく、メール以外でコミュニケーションを図るように努めている。



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