ある人の告別式に行く。 夫も一緒である。 私たちは、大学時代、同じ混声合唱団にいた。 はじめは、プロの女性指揮者が振っていたが、1年目の終わり、指揮者がお産のため来られなくなり、学生指揮者で凌ぐことになった。 それが、きょうの告別式の主であった。 合唱団員は、みな音楽が専門ではないが、好きで集まっているので、かなり詳しい人たちもおり、最初の学生指揮者として選ばれたその人は、理科の学生だが、合唱にはアマチュアの域を超えたものを持っており、特に、宗教曲が得意だった。 モーツアルトの「レクイエム」をやることになり、1年がかりで取り組んだ。 私は、楽譜の係、当時は、今のようにコピーもなく、ガリ版で切った楽譜を使うのである。 勉強もそっちのけで、毎晩、楽譜を切るのに没頭した。 それを、部室で、男子学生に謄写版で刷ってもらい、みんなに配る。 今でも、ぼろぼろになったわら半紙の楽譜が一部残っているが、読みにくく、良くこんな楽譜でうたったものだと思う。 「レクイエム」は、ちょっとページが嵩むので、私鉄沿線の印刷屋に頼んで作ってもらった。 レクイエムは、今なら当然オーケストラつきだが、当時は、ピアノの伴奏だけだった。 12月の定期演奏会に、日本青年館で「レクイエム」をうたった。 その時の演奏はレコードになっていて、きょうの告別式の間にも流された。 二十歳前後の学生達の声は、幼いが、初々しい。 透き通っていて、今聴くと、美しい。 指揮をしたその人は、大役を果たすと、しばらく合唱から遠ざかったが、1年後にまた復帰して、小曲を振り、東北地方への演奏旅行の指揮者として、付いていった。 私は、演奏旅行の渉外担当として、行く先々の役所に、宣伝に行った。 雪の降る中での、秋田県での演奏会も懐かしい。 そんな事を思い出しながら、斎場にいたが、当時の合唱仲間が多数来ていて、速すぎる死を惜しんだ。 前から肝臓が悪かったらしいが、仕事に夢中で、病院通いも怠っていたらしい。 急に容態が悪くなり、救急車で運んだ時は、もう手遅れだったという。 「お酒が好きで・・。とうとう帰らぬところに行ってしまいました」と、その妻は挨拶の中で言った。 合唱団の中で、恋愛結婚した人である。 高くてきれいなソプラノの声を持つ人だった。 故人は、中学生の時、火薬遊びで片手を失い、右手の残った指だけで、すべてを自力でやっていたが、その詳しいことは、学生時代、誰の口からも、話題にすることはなく、きょうの告別式で、はじめて原因を知ったのである。 寡黙で、意志の強い人、周りから一目置かれていたが、話してみると、ユーモアのある、シャイな人だった。 音楽とは、終生付き合ってたらしいが、「あの方の指揮で、もう一度モツレクを歌いたかった」というのが、きょうの皆の感想だった。
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