「藪原検校」をみる。 新国立劇場。この芝居は10年以上前に一度見ている。 その時は、検校役に原康義、塙保己一が藤木孝であった。 舞台に繰り広げられるブラックユーモア、鋭い人間批判に圧倒された。 検校とは、座頭である。 背景は江戸時代、田沼から松平定信に変わる頃、東北の貧困の家に生まれた主人公は、生まれながらの盲人である。 父に死なれ、食うや食わずで育った主人公は、母親を殺して江戸に出る。 座頭がのし上がるためには、その最高の位である検校になるのが一番の出世の道で、そのために彼は、あらゆる悪事を重ねる。 師匠である薮原検校の妻と通じ、師匠を殺し、2代目薮原検校に上り詰める。 最後に捕まって三段切りという、残酷な刑を受けるのだが、芝居の展開の中でふんだんに発せられる、いわゆる差別語、そのそこに籠めた健常者といわれる人たちの偽善を暴いてみせる。 主人公と対照的な人物として、学問に生きる高潔な塙保己一が登場するが、これを演じた藤木孝は、偽善の持ついやらしさを、たっぷりと表現して、見事だった。 「薮原検校をどういう刑にしたらいいか」と、お上に聞かれて答えたセリフの、ぞっとするようなもの凄さを、覚えている。 お上への民衆の不満をかわすための祭りのひとつとして、検校の死を盛大に利用することを提案する。 デフォルメされた検校の体が舞台に持ち込まれ、胴が切られ、頭がはねられ、最後に残った首から、食べたばかりのそばが流れ出る。 それを見て、狂喜乱舞する民衆。 舞台を見ている観客も、その中のひとりだよと言っているかのようなグロテスクな幕切れは、刺激的で、たっぷりとアイロニーを含んで印象深い。 狂言回しを金内喜久夫、これは前から変わらない。 検校役は若手の役者に代わり、堅さはあるが懸命に演じて好感が持てた。 塙保己一は、重要な役であるが、今回、別の役者に変わって、少し、印象が薄かった。 これは、藤木孝でもう一度見たかった。
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