いつも乗るバス。 込んでいる時間ではないが、席は埋まっており、立っている人が、4,5人いた。 停留所で、年の頃70くらいかと思われる女性が乗ってきた。 少し席を見回すような風だったが、空席がないと知ると、前のほうの吊革につかまった。 それを見て、近くの席に腰掛けていた男性が、「おばさん、ここにすわんなよ」と声を掛け、すぐに席を立った。 言葉は、丁寧ではないが、スポーツ刈りの、人当たりのよい感じの人だった。 「おばさん」は、そちらを見たが、「いえ、もうすぐに降りますから」と、いいにくそうに断って、そちらに行こうとしなかった。 私には、その理由がわかった。 男性が譲ろうとした席は、ちょうどバスの車輪が下に来るところで、他の席より、少し高めになっている。 足をおろすところが狭く、年配者や、タイトスカートの女性には、大変座りにくい席なのである。 立つ時にも、窮屈で、少し手間がかかる。 「おばさん」は、それがわかっているので、親切には恐縮しながらも、辞退したのであった。 女性なら、みな覚えがあるので、わかることだが、人の良さそうなその男性には、そうしたことは、想像出来なかったのだろう。 せっかくの親切が宙に浮いた感じで、彼は「どうしたの、座らないのか」といった。 別に腹を立てているようではなかったが、彼にしてみたら、自分の譲った席に、座って欲しかったに違いない。 「おばさん」のほうも、人の親切を断ってしまったという申し訳なさがあり、逆にますます座りにくくなり、ひたすら、自分の降りる停留所に着くのを待っている風情になっていた。 いくつかの停留所を過ぎ、「おばさん」は降りていった。 件の男性の目を避けるように。 男性のほうも、一度立った席にもう一度座る機会を失ったように立ち続けた。 親切の行き所をなくした空席は、ついに誰も座らぬまま、終点の私鉄駅に着いた。
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