沢の螢

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行く春や
2003年04月13日(日)

歳時記の上では晩春。
五月に入れば夏になる。
実際の季感とは少しずれている。

行く春や干潟に靴の跡四つ

という俳句を作ったら、ある人が次のように直した。

行く春や靴跡続く遠干潟

「靴跡四つ」というのは、いろいろなことを想像させてしまって、思わせぶりだからと言うのである。
なるほどなと思う。
四つというのは、二人と言うことになる。
靴跡を残して入水心中した二人とまで言わなくとも、俳句には、あまりふさわしくない表現になるのだろうか。
その人は、詩や俳句を長いことたしなんでいて、自分のサイトで、初心者向けに、俳句レッスンを始めた。
昨年のちょうど今頃であった。
私は早速参加し、ネット上の俳号もつくって、「行く春、で二句作りなさい」という課題に取り組んだのである。
初めての俳句、懐かしく思い出す。
その後そのレッスンは、参加者が増えたので、句会に代わり、毎回テーマを変えて、句を募っている。
テーマが、ありきたりの句会とは違って面白いので、途中からメンバーに加えてもらった。
締め切りまでに、テーマに添って投句、互選して、得点順に表示する。
主宰は、一切コメントしないし、以前のような批評も添削もしない。
お互い、ドングリの背比べの中での遊びのようなもの。
俳句の専門家や、結社のようなところでマジメに勉強している人から見たら、これが句会かと思うかも知れない。
でも、参加者たちの俳句は、素人の目から見ても、確実にうまくなっているようだ。
いわゆる俳句の先生に教わっていたら、こういう俳句は出て来ないだろうなと思う。
枠にとらわれない表現、自由闊達さが見られ、時に、感心するような句も見かける。
主宰も、毎回テーマを考え、勝手に作らせて、結果を愉しんでいるらしい。
「素にして野だが卑ではない」と言った政治家がいたが、そのことばが、この人に当てはまるような気がする。
句をまとめて、ネットに載せる段階で、良く単純ミスを侵すので、時々、こっそりメールで教えてあげたりするが、そういうことは、綿密ではないらしい。
だから助手が必要で、このごろは、二人ぐらいの人が、まとめを引き受けている。
趣味の世界では、私と同じ世界にいるが、この人は「野」に徹していて、決して主流には近づかない。
最近、結社をやめたという話をきいた。
大まかなようで、大変繊細な人なので、自然だったかと思う。
自分のことは、元々語らない人なのである。
そして、ひとのことは、やたらに喋らない。
そうしたところが、時に不透明に感じられ、何を考えているかわからない苛立たしさもあるが、逆に、何を言っても信じられるという気がして、私は一時、自分のことをいろいろ話したことがあった。
感情の動きの激しいひとなので、ついていけない感じのする時があった。
でも、こちらが誠意を持って訊いたことには、きちんと返してくれた。
思わぬことで、交流が絶たれてしまったが、信頼をなくしたわけではない。
遠くにいても、いつも気になる人であることに変わりはない。
今は、句会の上だけのつき合いである。
ひとに思い入れが過ぎて、深く付き合ってしまうのが、私の欠点である。
距離を置いて、いいところだけで付き合っていれば、面倒なことにはならない。
寂しいが、それが大人のつき合い方かも知れない。



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