いまNHKの衛星放送で、1950年代あたりの映画を毎日放映している。 50年代半ばは、映画の黄金時代、日本映画はもとより、アメリカ、ヨーロッパの名作が、ぞくぞく入ってきた時代だった。 私は中学から高校にかけての時期、ほかに娯楽もないので、読書と共に、映画を見ることが、最大の楽しみだった。 このころ読んだ本は、しっかり心に残っているが、映画もそれに劣らず、記憶に刻まれている。 2,3日前のテレビは「陽の当たる場所」だった。 原作はセオドア・ドライザー「アメリカの悲劇」。 貧しい青年が、富豪の叔父を訪ねるところから、物語が始まるが、少し影のある青年を、モンゴメリイ・クリフトが演じている。 工場で働くうち、同僚の女性と恋仲になる。しかし、金持ちの娘と知り合って、その美貌と、将来に横たわる地位と栄誉にこころを奪われてしまう。 妊娠した恋人から結婚を迫られ、また、金持ちの娘との結婚話も持ち上がって、悩んだ挙げ句、弾みで、恋人を水死させてしまう。 罪に問われた彼は、殺意のないことを主張するが、裁判の結果、死刑になる。 獄中に会いに来た金持ちの娘と顔を合わせた瞬間、彼は自分が罪を背負うべきであることを悟る。 恋人の水死は、直接手を出したのでないにしろ、心の中にその死を願い、もう1人の女性が、大きく心に位置を占めていたことは、事実だからだ。 中学生の時、この映画を見たとき、青年の苦悩というものが、よく理解できなかった。 しかし、今回これを見て、アメリカという、自由平等を唱っている社会の、光と影、成功すれば素晴らしい道が開けるが、それだけの力と運のない人間には、実に冷酷、かつチャンスの少ない社会であり、おそらく、それが、今日まで続いているひとつの「悲劇」かも知れないと、思った。 アメリカの栄光は、たくさんのジョージ・イーストマンによって、支えられているのかも知れない。
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