私の書斎の小さな窓辺には、楓の木があって、今頃は、紅葉が美しい。 今年の年賀状には、この写真を使った。 そろそろ、年賀状を考える時期、今年の紅葉か、門の傍の山茶花にするか、迷っている。 7月までいたサークルのNさんから、会報が来た。 サークルの中で、一番若い男性。 まだ大学院に行っている学者の卵である。 私がやめてからも、サークルの会報を送ってくれる。 理由の明らかでないまま、私がやめたことに、彼なりに心を痛めてくれているのが分かる。 いまの若者には珍しく、ケータイも、メールも持たない。 実家が、インターネットの環境にないからと言っているが、彼自身が、こういうものは、好きでないのである。 学校の研究室には、共有のパソコンがあって、必要なことはできるらしいが、個人のものは、持つつもりはないらしい。 いつも、きちんとした自筆で、手紙をくれる。 会報を送ってくれるのは、彼の意志だが、せめてものお礼に、記念切手を10枚ほど送り、「ついでの時で結構ですから」と言ってある。 サークルを辞めるについては、彼にも、本当のことは言わなかった。 若い彼に、大人の込み入った人間関係を、あれこれ言いたくなかったし、彼を含め、サークルの大部分の人には、関係ないことだったからである。 でも、何かと心配してくれる彼には、手紙の返信の際に、それとなく、理由を伝えた。 もちろん、関係者の名前は出さないし、一方的に誰かを非難するようなことも書いてはいない。 彼には、いまのサークルでの立場があり、これからも、そこにいる人なので、それは、大事にしたいと思った。 だから、非常に抽象的な、比喩的な書き方になってしまうが、そうした遣り取りの中で、彼なりに私の言いたいことは、分かったようだった。 そして、きょうの手紙の中で、私を傷つけぬよう配慮しながら、サークルと、私の退会に関わった人たちのことも、庇っているのが、よく分かった。 私のいなくなった後、会員たちの中で、どのように話されているか、誰にも訊いたことはないが、関係者たちは、自分たちのせいだと思いたくないが為に、ほかのことに原因をすり替えているらしいことが、彼の、言葉尻から、感ずることができた。 彼にしてみれば、サークルの中で、育ててもらったという気持ちがある。 だから、私の言うことを半ば理解しながらも、一生懸命、サークルと関係者を、弁護しているのである。 彼の優しさ、人への配慮は、よく分かるし、そんなことに、気を煩わせて済まないと思った。 これからは、もう、この話題は、こちらからはもとより、彼の手紙に触れてあったとしても、聞き流すことにしようと、あらためて思った。
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