沢の螢

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妻恋い
2002年01月15日(火)

賀状の中に、亡き友人の連れ合いからのものがあった。

その友人は、私の仕事仲間で、20年来の親友だった。若いときは、放送局で仕事をし、結婚と子育てで10年ほどブランクがあったが、日本語を外国人に教えるという仕事で復帰した。知り合ったのは、その時である。
仕事だけでなく、お互いの私生活に渡っても、私たちは妙に話が合って、やがて私が仕事を辞めてからも、一緒に都内の文学散歩をしたり、音楽会や、芝居に行ったりした。もう一人、共通の友人と三人の付き合いは、お互いの生活が忙しく、なかなか時間がとれなかったが、それでも、年に2度くらいは会う機会を持っていた。
彼女が癌を患い、手術したときも、彼女は明るく病気に立ち向かい、直ぐに仕事に復帰した。
最後に会ったのは、真夏の暑い日、三人で銀座で待ち合わせた。「和光の前」というのが、待ち合わせの場所になっていた。雨が降り出したので、あまり歩き回ることを止め、どこかのレストランで食事をし、違うところでお茶を飲んだ。どんな話をしたか覚えていない。ただ、私が連句をやっていて、会うと二人にその話をしていたので、その日も多分、話題になったと思う。彼女は「連句」に興味を持っていて、いつかやってみたいと言っていた。
それから5ヶ月後、年が改まって程なく、彼女はかえらぬ人となった。その連れ合いから電話で報を受けたとき、私は絶句した。ちゃんと年賀状が来ていたではないか、どうして・・・。
「正月過ぎて、急に入院しました。本人もまさかそのままになるとは思わなかったと思います・・」と、連れあいの声も震えていた。
こちらも言うべき言葉が見つからない。電話の後、あらためてお悔やみ状を出したが、その後、お連れ合いからは、時々電話があり、あまりにも早く逝ってしまった妻の想い出を反芻しているように見えた。

それから2年、今年の年賀状には、息子夫婦に子供が産まれた喜びと、「最近は友人と海外旅行をしたりして、やっと落ち着きました」と綴ってあった。
間もなく命日が来る。もう一人の友人と、また、花を送ろうと思う。

ありし日の友の言葉の断片の日を追うごとに明らけくなる
2002年01月15日 12時43分05秒



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