a Day in Our Life


2006年01月23日(月) 雪讚歌。(直樹→アントーニオ)


 「寒くないですか?」

 まるで魂が抜け落ちてしまったかのように、呆然と前を向く人へかけた声は、辛うじてかの人の耳に届いたらしい。いや、と短く呟いたきりまた黙って前を向いてしまったその人を、少し微笑ましく眺めた。
 雪を見せたい、と思ったのは完全なる思いつきだった。
 この冬、何度目か街中を染めた雪に降られながら、ふと直樹は思ったのだった。この雪を知らないだろう、遥か遠くに住まう人を、ここに連れて来たいと。
 果たしてそんなことが出来るのか、だって直樹の住むここは21世紀の日本で。彼の住むアセンズは時空さえも越えた16世紀のヨーロッパだった。本来、その存在同士が交わうことすらありえない。けれど事実として出会ってしまったのだ、自分は、彼に。
 最初はただ神様か妖精のいたずらだったのかも知れない。けれど初めて訪れたアセンズの土地で、自分の意志とは無関係に巻き込まれた騒動が解決して、姿は見えないものの確かに気配を感じた妖精たちのおかげで無事、現代に帰ることが出来た。普通ならそこで物語は終わりの筈だった。だから、終わりたくなかったのは直樹自身だったのだ。
 それからしばらくして、アセンズに舞い戻った直樹を見て、今や一国の王たるクローディオも、その片腕として変わらない手腕を振るうアントーニオも、一様に驚いた顔をした。驚くアントーニオの傍らで、一人表情を崩さなかったクインスだけが、或いはこうなることを予想していたのかも知れない。今、直樹は何となくそう思う。まさか彼がそれを手引きしたとは思わないけれど。
 直樹は時空を越えて、アントーニオに会いに行く。行けばアントーニオはその足を止めて、直樹に笑いかけてくれる。その存在が確かにそこにあるのだと、直樹は知る。
 けれど逆はあり得るのだろうか、と直樹は思った。彼を直樹の住む現代に連れて行くことは危険なことだろうか。だから人知れずホープランドの森を訪ね、そこにいるであろう妖精達に願った。ただ彼に、美しい雪を見せたいのだと。妖精達が雪の存在を知っているかどうかは怪しかったけれど、真摯な気持ちは届いたらしい。最大の難関である国王や父の了承も得、何より当人の気持ちを導いて、今、時空を越えてここにいる。
 二人分の空間を歪めるのはたぶん、大変なことなんだよ、と妖精は言った。
 本当は妖精が言ったようで、ただ自分が懸念する事を、内なる自分に話し掛けているだけなのかも知れなかったけれど、とにかくその行為は安全ではありえないのだと、声はそう言った。当然だと思う。だから直樹はもし彼に何か危険があれば、きっと彼を守ると、もし時空の歪めに落ちそうになったのなら、自分一人が落ちればいいのだと、そんな思いを抱えていた。決意にも近い、確固たる想いは父クインスにも知れたのだと思う。だからクインスは穏やかに笑って、息子にその美しい、雪とやらを見せてやってくれと言ったのだった。

 「これが”雪”です」
 直樹の言葉に頷いたアントーニオは、一面降りしきる雪を、ただ黙って眺めた。
 「…美しいな」
 ぽつ、と漏れた言葉は感嘆の色濃く、ため息混じりに吐かれた息も白く広がり、空気を染めた。静かに重く、舞い落ちる雪の粒はしんしんとアントーニオの髪に、肩に、睫毛に降りて留まる。その冷たさも感じないのか、ふと見ると無防備に晒したアントーニオの指先が、仄赤い色を浮かべていた。アセンズを発つ時に、現代にその格好は不釣合いだからと用意した服に着替えて、中世の華美な衣服を脱いだアントーニオは、その人ではないようで。
 もし、これが現代のやり方なんです、とその手を取ったなら、何も知らないアントーニオはそんなものなのだと黙って手を握られただろう。けれどそれだけは外さなかった、現代服にはアンバランスなエメラルドグリーンの大きな指輪が、今もアントーニオの指に嵌っているのを見、結局、直樹は手袋を差し出した。
 「冷えるといけないから、これ使て下さい」
 ありがとう、と僅かに微笑んで、素直に受け取ったアントーニオが黒い手袋にその指を隠すのを、ぼんやりと直樹は見遣る。自分は今、彼の手を温めたかったのか、それとも彼の指輪を見たくなかったのかどっちだっただろう、と考えた。
 「直樹の言った通りだ。これほどの美しい純白はない」
 見れてよかった、とアントーニオは言った。彼の感動した白い世界は、果たして最愛の父を喚起しただろうか、と直樹は思った。どちらがより美しかったかと、直樹は聞こうとして、けれどあまりに下世話な質問だと結局、聞くのを止めた。
 直樹の感傷をよそに、今も雪は降る。
 しんしんと、黙々と静かに、直樹の、アントーニオの、誰の頭上にも降り積もる。
 好きなのだと、直樹は言いたかった。
 美しい白銀の世界を眺めながら。何より無垢な気持ちで、あなたが好きなのだと。ただそれだけなのだと。
 直樹にとって、それはそれだけで完結する気持ちだった。彼をどうこう出来るとか、しようとか、そういうことは思わない。ただひたむきに好きだと思う。それは彼の生き方や、純潔な精神や、穏やかに澄んだ瞳でさえ。
 今、その降り積もった想いを雪に乗せて、彼を抱き締めることで伝えたのなら、その体は雪のように消えてしまうのだろうか、そう考えた直樹はあまりに感傷的すぎる、と自嘲気味に唇を歪めた。
 思えば随分と、感情に滑りすぎていたのかも知れない。 
 だから、後ろから近付いてくる気配にまるで気が付かなかった。寒がりなせいで、首をマフラーに埋め、ダウンジャケットを着ても尚、寒さに息を白く染めながら、
 「直樹やんけ、何しとるん」 と邪気なく掛けられた声に、同時に振り返って。
 似ている、と気付いたのは先の自分だったのだ。一面の銀世界にそのまま溶け込みそうな、淡く白い肌。決して派手ではなく優美な銀髪とは対称的に、目にも鮮やかな美しい金髪の間、色素の薄い柔らかな瞳ですら生き写しのように似たその人は。

 「父上…!」
 
 直樹が何か発する前に、息を飲むように吐き出されたアントーニオの声を耳にして、はっきりとしまった、と思った。



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これ系が続いた試しがありませんな…。

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