a Day in Our Life
2006年01月22日(日) |
白い華。(直樹→アントーニオ) |
「雪?」
その、聞き慣れない単語を反復したアントーニオは、舌に乗せても尚、実感の沸かない言葉の意味を考えるように数回、瞬きをした。 「そう、雪。日本は今年、近年稀に見る寒冬で、ここに来る前、大阪でも珍しく積もっとったんですよ。そう言えばアセンズでは降らへんのかな、思って。ここは今も全然暖かいし」 初めてこの国を訪れた時、時空の歪みを越えて偶然に紛れ込んだあの時と違い、今や確信的に21世紀と16世紀を行き来する直樹はふと、アセンズに四季はあるのだろうかと考えた。特にこのホープランドの森の中はいつ訪れても緑に溢れ、柔らかい温もりで直樹の心を癒す。それともそれは、環境のせいではなく、無理矢理会いに来た直樹に付き合ってくれる目の前の人のせいかも知れなかったけれど。 「雪っていうんはね、雲の中の水蒸気が結晶して地上に降る白い固まりなんやけど。気温が摂氏零度以下の大気中でしか出来へんから、主に北日本でしか見られへんねん。手に取ると体温で溶けてしまうから、持って来ることももちろん出来へん」 直樹の説明を黙って聞いたアントーニオは、その頭の中で直樹の言う現象を何とか想像しているようだった。けれど実際に見たこともなく、存在すら知らなかったものをいくら口で説明した所でリアルには伝わらなかったに違いない。百聞は一見に如かず、と昔の人はよく言ったものだと思う。そう言う意味ではアントーニオそのものが直樹にとっては「大昔の人」に当たるのだが、そんな事を言っているのではもちろんなく。 「雪が積もると地面も建物も一面が白く染まって、めっちゃ綺麗なんやで。それを銀世界、と表現するんやけど、白い雪は光に当たると反射してキラキラと光るから、それは、とても美しい光景やねん」 「一面の、白。…銀世界」 美しい白、と言われたアントーニオは、漸く具体的なイメージを思い浮かべる。それは身近にある華やかな白だった。彼が愛する父のそれは白く透き通るような、美しい白い肌。 「きっと、この世のものではない程に美しいのだろうな」 見たことはないまでもそう想像して、アントーニオは僅かに微笑んだ。摂氏零度の冷たい空気の中で手に触れた白い結晶は、その皮膚にどんな感触を与えるのだろう。 「いつか、連れて行きますよ」 それが果たして叶うことなのか、直樹には分からなかったけれど。それでもいつかこの人を21世紀に連れて行く。そして雪景色を見せてやりたいと、直樹は思った。一面に広がる銀世界を見た彼は、何と言うだろうか。どう思うだろうか。目に刺さるほどの眩い白を、何者にも替え難く美しいと愛でるだろうか。 それとも、と直樹は思う。 それともやはり、そうまで美しい雪よりも、同じ血を分け与えられた父の麗しい肌が、その艶やかな銀髪の方が、よほど尊く神聖だと思うのだろうか。彼の心を捕らえて離さないのだろうか。 それでもいい、と直樹は思った。 「いつか。必ず」 それは直樹の決心にも近かったかも知れない。静かに美しく降りしきる雪が、優しくアントーニオの肩に落ちればいい。その光景を見たいと思った。 対するアントーニオは答えることがなかったけれど、言葉の代わりに直樹を見た。栗色の髪の間から、今はもう柔和な瞳がゆらゆらと揺れる。濡れた黒眼だけで雄弁に微笑ったアントーニオが、ひどく愛おしいと思った。
***** アセンズはむしろ、雪に覆われたイメージがありますが。
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