a Day in Our Life
2005年10月14日(金) |
尊いという人。(倉丸) |
育てられ方が悪かったとは思わない。
そりゃぁ数十店舗の飲食店をもりもりと切り盛りするような父親のせいで、少しはヘンな子供に育ったかもしれないけれど、大らかな母親にたっぷりの愛情とたっぷりのごはんを貰って、随分と食いしん坊な子供に育ったかもしれない。 「…いや。それは今、関係ないやん」 ぼそりと呟いた大倉の声には無反応で、場はいまだ静まり返っていた。一人でいるのではない、そこにはもう一人、むっつりと黙り込んだ丸山がいたのだが、会話を放棄したように彼は今、自分以外の異物を、もっと言えば大倉ただ一人を、排除してそこにいた。 発端は何だったのか、正確にはもう思い出せないのだけれど。大倉の言った、もしくはした何かが丸山を怒らせたのだった。それは随分と我侭な言い分だったと、よく思い出せないなりに大倉は、ぼんやりと記憶を辿ってみる。丸山のせいではなかったのに、勝手に怒って、勝手に面倒臭がった。それに腹を立てたらしい丸山は、ムッとした顔で文句の二つ三つを返して来たものの、言っても聞かなかった大倉に諦めたのか、黙って口を閉ざした。それからずっと、言葉を交わしていない。 普段、温厚な丸山が、およそ怒るというイメージは少ないけれど、それは怒らない、のではないのだと大倉は思う。人並みに腹も立てるしただニコニコと笑っている訳ではない。そうでなくとも丸山の場合、困り顔のイメージの方が強い気がする。それはまぁ、先輩達が好んで彼をいじるからで、愛情の裏返しとはいえ、たまに本気で困っている彼を見て、大倉も一緒になって笑っているのだけれど。 けれど大倉がいつだって思い浮かべるのは何故か、丸山の笑い顔だった。 それは不思議と穏やかに、じわりと滲むように笑みを称えた丸山の顔を思い出すと、大倉の心は癒されたと感じるのだった。好きとか嫌いとかそんなことは知らない。ただ大倉は、丸山の笑い顔が好きだった。彼の醸し出す温かさが好きだった。 「…マル、」 だから、大倉は幾分バツが悪そうに、拗ねた子供のように口を尖らせて。それでいてきちんと丸山を向き直って、言った。 「ごめん。」 言い過ぎた、と頭を下げる大倉を、黙ったままの丸山が見上げる。大きな大倉がその大きな背を倒して、丸山の位置まで降りてくる。顔を上げた時、分からないくらいに幾分唇を突き出して、いまだ自分をじっと見る丸山と目が合って、まだその顔が変化していないことを知った。 「…」 丸山は依然、黙ったまま。 彼が思いの他、怒っているのかと心配はしていなかった。もちろん不安もない。もう少しすればゆっくりと表情は変わって、笑い顔になった丸山が浮かべた、その顔が見たいから。 「ごめんなさい」 だから大倉はもう一度、誠心誠意を込めてごめんと言う。 次に瞬きから目を開けた時、きっと丸山は笑っている。最近になって始めた歯列矯正のブラケットを隠し、唇を優しく持ち上げて。目尻を下げて雄弁に微笑む、大好きなその顔が見れるに違いない。
***** 【尊い】たっと・い 1 崇高で近寄りがたい。神聖である。また、高貴である。 2 きわめて価値が高い。非常に貴重である。 3 高徳である。ありがたい。
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