a Day in Our Life


2005年08月12日(金) 夏の夜の夢。(直樹×アントーニオ)


 「かに道楽でも一龍でもはり重でもええわ、あんたを連れて行きたい。攫ってしまいたいねん」

 嘘ではなくそう言った言葉を、意味は分かってないだろうアントーニオは、その漆黒の瞳を向け、ただ黙って聞いていた。
 「…私は、」
 ぽつ、と呟いた声は直樹に向けてではなく、むしろ内なる自分に向かって話し掛けているようだった。
 「父に憧れ、父の為に、父を守ることだけを考えて生きてきた。父を想うと胸が張り裂けそうに切ない。いっそどうにかなってしまえばいいのにと思う。私のこの、浅ましい想いを父に知れたらどうなるか。それでも側にいたいのだ。お側に置いて欲しいと思うのだ」
 幼い頃から父・クインスの謀略と共に生きてきたアントーニオの人格は、父によって作り出されたと言ってもいい。だからその実父に対して、一方ならぬ想いがあったとしても、当然のことのようにも思えたけれど、アントーニオは純真で無垢な心を痛め、背徳的なその想いの正体を知れずに苦しむ。
 だから、直樹は不安げに揺れるその瞳を覗き込んで、
 「俺は、あんたに愛を教えたる言うたやろ?」
 それを教えてしまうのは、きっと自分にとって、不利になるだろうことは知っていたけれど。
 「あんたは、誰でもない父・クインスを愛してるねん」
 「私が、父を…?」
 「そぅ。それが愛、言うねん」
 直樹の言葉にニ三度、瞬きをしたアントーニオは、しばし思考するように動きを止めた。やがて、その膝に置いた手が僅かに震えだしたことに気が付いた直樹が顔を上げる頃には、その瞳から一筋の涙が流れ落ちていた。
 音もなく、静かに流れる涙はあとからあとから溢れ出し、止まる事を知らない。ぽつり、ぽつり、と落ちては華美な絨毯に染み込んでいくその美しい滴を、意味もなく、勿体ないと思った。
 自分ではない他の誰かの為に、儚くも泣くアントーニオを、直樹は無性に抱きしめてしまいたいと思ったのだけれど、それは何だか憚られて、代わりに直樹はその手を取って、握り締めた。
 権力の象徴である華やかな装飾品を身に付けるのは止め、今、アントーニオを飾っているのは戒めでもある黄金のクロスくらい。それから、もうひとつ。父から与えられたという大きなエメラルドの指輪だけが、その美しい指に嵌め込まれていた。手にしたその皮膚はつるりと滑らかで、思いのほか柔らかいことに直樹は少し感動をする。さらにもう片手を重ねて、包み込むように。何か大事なものを扱うような慎重さで、直樹はその手の感触を確かめた。
 「あなたの愛する父上は、教えてはくれへんかったん?」
 その、手に触れるだけで心臓が高鳴ることを。その人の為ならば命すら投げ出せるだろう、情熱と忠誠を。この、気高くも美しい、穢れない想いは。
 「あなたのその想いを、愛と言うんです。そしてそれは、なにひとつ恥ずべきことではないんだ」
 
 だって、そうでしょう?
 そうでなければ、こんなにもこの人に惹かれている自分を、どう説明すればいいのだろう。



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愛を知ると書く…のは愛知県。(黙れ)

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