a Day in Our Life
好きなものばかりを並べたような食卓には、2人で食べるには多すぎる料理が乗っていた。 「これ、絶対に全部食われへんやろ」 完全に作りすぎやんけ、と言って福田は苦笑する。テーブルのど真ん中には牛スジの煮込みに、ハンバーグ。その他、随分とバランスの悪いメニューの数々は、要するにそれぞれ相手の好きなものを作ったというだけだった。気を遣った訳でもないのに、無意識にそうしている自分達が可笑しいと思う。 「でもこれ、めっちゃウマイですよ。肉汁すごっ」 過去二年間で一生分のハンバーグを食べたと豪語する川島は、好きなぶんハンバーグにはうるさい方だったけれど、お世辞抜きに福田の作ったハンバーグは美味かった。それでなくとも顔を上げれば、反応を窺う福田の顔。自信があると言う割には不安そうに川島を見るその顔が、川島にとってはいとおしいだなんて。
「あ、そうや。川島にこれ返さな」 たっぷりの料理を食べて(予想通り少々残ってしまった)腹具合も落ち着いた頃、ふと左手に目を落とした福田が、ぽつりと呟いた。すぐに返そうと思っていたのに、すっかり馴染んで違和感のなかったそれに、気付くのが遅れた。 福田の言葉を受けて、かたん、と川島は箸を置く。 「時計。役に立ちました?」 微笑い顔を浮かべて福田を見れば、ベルトを外そうとする福田の指が、僅かに反応をする。あまり話そうとしない割に案外分かりやすい福田の事は、この数日の間に随分と理解ってしまっていた。 「そやなぁ。普段全然つけへんから、見たらすぐに時間が分かるんが便利やったけど、川島は困ったん違う?ごめんなぁ、大事なもん借りてもぅて」 言いながら福田の指が、妙にもたもたと止め具を外す。それを見ている川島は、引き寄せられるようにその手を伸ばした。 「福田さん」 期せずして、昨晩徳井がそうした同じ動作で、川島はベルトごと福田の手に触れる。びくりと跳ね上がった肩が、随分と饒舌だと思った。 「福田さん。俺はね、あなたの事が好きやから、あなたの為に、何が出来るかって考えてるんです」 川島の言葉に反応して、福田が顔を上げる。テーブルを挟んで、随分と近くに目が合った。身じろぎをした僅かな動作で、あとはもう外すだけだった腕時計が、ぽろりと川島の手に落ちてくる。はっとして目線を落とした福田の先、ゆっくりと時計を手にした川島は、改めてそれを見た。 ブレスレットよりは重量が重い時計は、それだけ腕に嵌めた福田に、その存在を主張したかも知れない。その事を福田が意識していなければいい、と思った。逆にブレスレットの不在を気にしていなければいい、とも。 「福田さんが大事にしてたブレスレット、徳井さんにもろたもんやったんですね」 言われた福田が今までで一番大きな反応を示した事で、後藤の言った事が嘘でも冗談でもなかったのだと川島は知る。傷付く気持ちは昨晩置いてきたから、今は福田をどう傷付けずに話を続けるかを気にした。 それほど大事にしてきたものを、何故外そうと思ったのか、何故川島に外してくれと頼んだのか、聞きたい事は他にもあったけれど、あえて聞こうとは思わなかった。押し付けがましくなるのは嫌だったし、本当に聞きたい事は、そうではなくて。 「10年も付けてたんやったら、そら随分と落ち着かへんのと違います?」と、言って川島は笑った。綺麗に笑えていればいい、と思った。 「どうやろ…分からへん、」 ぽつん、と福田が呟く。その呟きは本当に小さなものだったので、うっかり聞き逃さないように、川島は全神経を集中する。今、ブレスレットも腕時計もない左手首をゆっくりと、福田は右手でさする。何もないそこは軽いぶん、妙な感覚だと思った。 「徳井くんの付けてたブレスレットを、コンビ組んだ記念にくれって言うてん。冗談に近かったんやけど徳井くんはほんまにくれたから、最初は貰った手前気ィつこて付けてた思うんやけど。いつしかそこにあるのが当たり前になってきて」 惰性にも近かった思うねん、と福田は言った。それは少しだけ切なげな、笑い顔を浮かべた。 「付き合いが長くなって、何故だかその分離れていく感覚で、徳井くんに触れる事は出来なくなっていったから、代わりに触ったら落ち着いてん。逃げてたんかも知れへん。俺ら2人とも、ずっとお互いから逃げててん」 少なくともその事に気が付いて、認めたぶん、福田は逃げる事を止めたのだと川島は思ったけれど、それを言ったところで福田が喜ぶかどうかは分からなかったから、言うのは止めた。代わりにぽつぽつと福田から漏れる最初で最後の本心を、聞き逃す事のないように。 「大事すぎて…疲れたんかな、たぶん」 誤魔化すことのない福田のまっさらな本音は、少しだけ川島にとって切ないものだったけれど。今、聞いておかなければ、もう二度と聞けないのだと思った。そして徳井のようには、自分は福田から逃げないと決めていた。 疲れた、と言った福田はほんの少し遠い目をして、それからゆっくりと川島を見た。 「でもな、誓って川島に逃げようと思った訳やないねん。それはホンマやから、信じてくれると嬉しいんやけど、」 川島が優しかった事が、本当に嬉しかったのだと言って福田は笑った。川島の欲目でなければ、それは本当に、泣きたくなるくらい柔らかな笑い顔で、だから川島は、福田の言葉を静かに掬い取る。 「福田さん、俺はね。さっきも言うたけど」 想いは、伝えなければ届かないのだと思った。それは徳井と福田を見ていて思った事だった。いくらその内心で誰よりも大切にしていても、形にして差し出さなければきちんとは伝わらない。それがどれほど切ない事か、川島は知っていた。 だから、川島は、今の自分の余すことない気持ちを伝える。 あなたが好きです、と言った。 「やから、あなたがして欲しいことを言ってくれたらええねん。あなたの願いを、全部。俺はどんな事でも叶えるから」 そう思う気持ちが押し付けがましくなければいい、と思う。それでも今、川島にとってそれが全てだったから、福田がどう思うかはまた別の話だった。 願いを叶えたい。欲しがるものを全部与えたい。もしもあなたが好きだと言ってくれるなら、全てを懸けて大事にするから。 「手首が寂しいんなら、ずっと握っていてあげる。腕時計が欲しいなら福田さんにあげる。どうしたいのか、言ってくれるだけでええねん」 じっ、と福田の顔を見た。僅かに揺れた黒目は、けれど怯えても震えてもいなかった。少し考える仕草を見せた福田は、やがて上目遣いを深めて、川島を見た。 「ほな、頼みがある」 「何ですか?」 自分の思いつきに満足をしたのか、いたずらを持ちかける子供のような顔で笑った。2人しかいないのに気持ち体を前のめりにして、ひそひそ話のような体勢になる。 「新しいブレスレット買いに行くん、付き合うてくれるけ?」 福田の提案にもう笑い出した川島に、断る理由がある筈もなかった。 「ええのあったら、今度は俺が買うたげますよ」
笑いながら、今、手にした幸せを握り締めた。
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kaleidoscope【37】 2007/10/11 Toshimi Matsushita
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