a Day in Our Life
福田の手を握ったまま、徳井はぼんやりと考える。
聞きたい事は山のようにあった。言いたい事も。福田はリハビリだと言ったけれど、術後の病人だってそんな急に回復する訳じゃない。それでなくとも長いコンビ生活でじわじわと変わってしまった関係性が、気持ちひとつで改善するとも思えなかった。 だから、言葉よりむしろ、繋いだ手から伝わる熱のほうが、より内心を伝えられる気がした。冷たい手は、けれど夏の湿気もあって少し汗ばんで熱もっていて、少なからず福田も緊張しているのだと思えた。握手をしたままの不自然な体勢で、車窓を眺める福田の表情は、夜のヘッドライト程度では窺い知れなかったけれど。 強く握るでもない、けれど撫でるのとは違う。手を繋ぐ自分達は、ただそれだけの動作で、相手の存在を確かめる。 いつからか摩り替わってしまっていたのだろうと思う。お守りというよりは、身代わりのように触れていたブレスレット。縋るように、祈るように、時には愛を囁くように。そうやって、触れたかったのは福田のブレスレットではなく、福田自身の筈だった。 好きなのに。愛しているのに。 もはやそれだけでは収まらない気持ちを持て余す。メロドラマのように福田を愛でて、独占したい。誰にも渡したくない。いつも、空気のように隣にいるのは福田だったから、永遠にそこにある事を望んだ。離したくはなかったから、共に歩む事と引き換えに、一切の愛憎を手放してしまったのかも知れない。 ずっと一緒にいる為に、それはもう、気が遠くなるほど長い時間を傍にいて過ごす為に。事を起こすのも、荒立てるのも出来ず、喧嘩をすることすら恐れてやってきたのだ。思えば随分と臆病だった自分達は、根本から間違っていたのだろうか。 傷付ける事を恐れて、多少の事は胸に仕舞って。時に我慢をし、時に悟り、時に諦めて、そんな風に。それだけ福田が欲しかったのに、そのせいで自分達は、何か大切なものを置いてきてしまった。今さら取り戻せる筈もないから、今、徳井は眩暈がするほどの絶望を覚えていた。ぎゅ、と目を瞑るとこめかみが痛む。ちりちりと焼け付くような痛みは、気が狂うほどの福田への想いだったか。 考えに耽ったせいで、繋いだ手に力が篭った。徳井が目を開けたタイミングで、窓から目を離した福田が、窺ってくる気配があった。 「どないしたん。気分でも悪いんか?」 ヘッドライトに照らされた徳井の顔色が、随分と青白い事に福田は気が付く。さっきもしみじみ思ったのだけれど、最近また少し痩せた気がする徳井は、目の下のクマも目立って、殺気立つ印象すら覚えた。何に対して苛立っているのか、分かるようで、実は分からない振りをしているだけかも知れないと福田は思った。 「…いや、大丈夫や」 ありがとう、と徳井は言った。それは随分と弱々しい声だったから、徳井が泣いているのかと思った。 「徳井くん?」 もう少し首を動かして、今度ははっきりと徳井に目を向けた。泣いているようでも涙は流していなかった徳井は、漆黒の目を滲ませて福田を見た。タクシーの狭い後部座席で、至近距離で目が合って。随分と久し振りに互いの顔を見た、と思った。 「―――ごめん」 「何が?」 遅れてやってきた謝罪は、何に対してのものだったのか。聞いた福田に対して、徳井は曖昧に笑う。 ごめん。こんな俺でごめん。笑えなくてごめん。苦しめてごめん。狡くてごめん。臆病でごめん。…好きでごめん。 今、福田に伝えたい事は何だっただろう。 言いたい事はありすぎて、何からどう伝えればいいのか分からなくなっていたから、言葉にしなくても、繋いだ手から気持ちが伝わればいいと思った。福田が好きなのだと。ずっと一緒にいて欲しいのだと。 「とくいくん」 福田の自分を呼ぶ声が、どこか遠くに聞こえる。こんなに近くにいるのに不思議だと思った。 手を握る。手のひらいっぱいに福田の手を包み込めば、ひんやりと固い腕時計に当たって。誘われるように視線を落とすと、ライトに照らされた文字盤がつるりと光った。 ぽつん、と呟くように言葉が滑る。小さなその独白は、小さすぎて福田に届いたかどうかすら、分からなかったけれど。
「…俺から逃げんといて」 逃げているのはむしろ自分の方なのに。おかしいな、と徳井は思った。
***
kaleidoscope【33】 2007/09/23 Toshimi Matsushita
|