a Day in Our Life
一足早くタクシーに乗り込んだ徳井は、福田が来るのを待たず目を閉じる。 そうして瞼の裏に浮かぶのは結局福田の笑顔だった。
思えば、考え方も趣味もまったく違うのに一緒にいると一番安心できる相手だった。 学生時代はむしろ人見知りの徳井をフォローするかのように何くれともなく世話を焼き、勉強でも部活でもソツなくこなし、仲間内でも早いうちにさっさと彼女を作っていた福田。徳井にとってはある意味で出来のいい弟のような存在だった福田。福田が能天気に笑っているとそれだけで嬉しくて、笑わせたいがためにあほな事ばかりやらかしていた。笑いを生業にした一因ももしかしたらそこにあるのかもしれない。福田が隣で笑っている限り、自分は大丈夫だと確信していた。 それがほんとうにどの時点で拗けてしまったのだろうか。なまじ言葉にせずとも伝わる分、気づけば、一番肝心な部分で言葉にすることが減っていた。気づいたからといって一度築いたスタイルを崩すのはひどく億劫で。だからといって、共に過ごしてきた27年間を今更なかったことにはできないし、するつもりもなかった。それは福田も同様だったに違いない。 もしも福田に対して、好きだとか愛しているだとか、伝えていたらまた何かかわるのだろうか。今からでも遅くないのだろうか。 先ほどの福田の乾いた声に、徳井は正直、切られたと感じた。何が、というわけではない。自分でもよく分からないままに福田に置いていかれると思って理不尽ともおもえる胸の痛みを覚えた。 堂々巡りに倦怠感を覚えた徳井の思考の糸が切れた頃、福田もタクシーに乗り込んできた。
窓硝子に映る福田の顔は、先ほどの怒りを滲ませたものではなく、どこか思考に沈んだ表情だった。時折、腕時計に目をやっては遠い目をする福田が不意に徳井を見つめてきた。意を決したように開いた口からこぼれた自分の名前が聞きなれない言語のように聞こえる。 「さっきは、いや、ちゃうな。ほんまに、ごめん」 ここ最近よく見せる取り繕うような表情ではなく、剥き出しの福田の顔。先ほどの怒りの炎が燃えている状態よりは穏やかな、だけどどこか迷いのある福田の声。 「別に謝らんでもええよ」 お前が謝ること違うし、と続ければ福田は首を振る。 「言葉にせな伝わらへんて、小杉さんに思い出させてもろてん。せやからお互いリハビリしようや」 な、とぎこちなく微笑んで左手を差し出してくる。ブレスの代わりにはめられた腕時計が徳井の視神経を焼く。福田のものではない、新品でもないそれが、川島のものである事実。それを大事そうに撫でていた福田の右手。つきりと痛む胸。 「言い過ぎて、ごめん。とりあえず仲直りの握手しよ」 「……ん」 子供の頃から、自分たちは喧嘩と言うものに対して異常なほど恐れを抱いていた。だから小さなものを含めても数えるくらいしか喧嘩の記憶がない。それだけに喧嘩の後というシチュエーションは戸惑ってしまって、どうしていいのか分からない。たいていは福田のほうが折れて、依怙地になりかけた徳井の元に半べそでやってきて「とくっちごめん」と謝ってくることが終結の合図だった気がする。 だが先ほどのやり取りが喧嘩かというと少し違うような気がした。喧嘩慣れしてない自分ですらこれは違うと思った。だからと言ってとことんまで喧嘩する勇気は持ちあわせてはいなかったから、福田の差し出してくれた手に縋るように手を伸ばす。 「ふくだ」 「なに、とくいくん」 「しばらくこうさせといて?」 子供の頃よりも成長した手は、自分と同じ性別のものらしく、しなやかではあるが筋張っていて硬い。イメージに反して少し冷たいその手が久しぶりで気持ちよくて、不意にこの手がずっと欲しかったのだと思い出した。
*** **
川島はもう一軒行こうという後藤の誘いを辞退して、部屋に帰ってきたことを後悔した。 まだまだ暑い日が続いているはずなのに、ドアを開けた瞬間、見慣れたはずの部屋に冷え冷えとした印象を覚え川島は立ち尽くす。 福田が来る前のこの部屋はこんなにも空虚だったのだろうか。 慌てて部屋に駆け込むと、全ての部屋に明かりを灯し、テレビをつける。部屋が妙にまぶしい明かりと、ざわざわと無意味な音に満ちて、ようやく川島は少し落ち着きを取り戻す。お化けに怯える子供のような行動に突っ込んでくれる人がいないのが物足りなかった。 それでも川島は先ほどの福田との会話を思い出し、のろのろと台所に立つ。 鍋の中身が大丈夫そうなことを確認して皿に移せば、これが現実だと言う実感が湧いてくる。 福田がいないことに欠落感を覚える自分を鼻で笑ってみても、込み上げてくる寂しさはいかんともしようがない。
「福田さん」
川島の口からこぼれた名前は、祈りにも似ていた。
***
kaleidoscope【32】 2007/09/22 Kanata Akakura
|