a Day in Our Life
そのとき、福田の胸に去来したものは何だったのか。 言葉にできない諸々のものが一気に込み上げてきて頭の芯がカァッと熱を帯びていくのがわかった。それは怒りにも似た。どくどくと血がめぐる音がやけに煩かった。 衝動のままに叫びそうになった福田を押しとどめたのは、川島の腕時計の感触だった。カチカチと確かに時を刻む秒針の音が、速まりかけてた福田の鼓動を宥めるように響く。川島に大丈夫、といわれているようで福田は小さく深呼吸する。 だが、一度火のついた激情はおさまらなかった。 「もう、ええわ」 疲れた、と口に出してしまえば、思いのほか疲れている自分に気がつき、福田はずるずると座り込む。わずかに表情に陰りを残した徳井が、煙草を揉み消し近づいてくる。 「福田?」 「大概にせなアカンのはどっちやねん」 これ以上口にしたらいけないと冷静な自分が止める。どう答えても正解にはなりえないと。だがそれを振り払って出した声は恐ろしいほど乾いていた。 「あぁ、川島のところで世話になっとるよ。せやけど隠してたわけでもないし。第一、俺はお前に何でも話さなあかんのか? なぁ、徳井」 久しぶりに見据えた正面からの徳井の顔。少しだけ面窶れしたようだった。 端整なその顔に浮かぶ繕った無表情が少しだけ怖いと思う自分が滑稽だった。人生の大半を共に過ごしてきてなお見たことのない徳井だったから。 福田は自覚的に腕時計に触れる。大丈夫、大丈夫。――大丈夫。 「ちょっ、落ち着けや」 深い事情がわからずとも、おかしな空気になってきたことに小杉が遮れば、徳井は福田から目をそらす。 「別に……ただ心配やったから。お前、退院したてやし。相方頼らんなんて水臭いわ」 オクターブ低いトーンでつぶやいた徳井に福田のみならず小杉も言葉を失う。そんな二人を一瞥すると徳井はそのまま荷物を引っ掴み、足早に楽屋を出て行く。 福田は呆然とその背中を見送った。
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「そんで徳井もな、福田のブレスいまだに大事にしてんねん」
それとも今だからこそ、だろうか。 交換した当初はもっと軽いノリで冗談でお守りにしようなんて笑っていたのかもしれない。エンゲージリングの交換みたいや、とふざけて口にして福田にしばかれたかもしれない。幼馴染の延長上で無邪気に笑ってじゃれついていたであろう二人が見てもいないのに脳裏に浮かぶ。 だが、徳井に話を聞いたときのことを思い返そうとするが、頭に靄がかかったかのように思い出せない。無理もない。かれこれ十年近く昔の話なのだから。当事者たる徳井に聞いてもいまさら教えなおしてはくれないだろうけれど、聞きたいと思った。
「あいつは俺が気づいてないと思うとるようやけど、肌身はなさず持ってんの知っとんねん」 腕に巻いていないときでも、鞄やポケットに忍ばせているところを何度となく見ているのだ。それだけ、徳井のことを目で追っていたのかと思えば、眩暈もするけれど、不思議と嫌な気分ではなかった。 そんな後藤の気持ちが伝わったのか。川島は神経質に唇をさすると、そこを湿らすようグラスに手を伸ばす。長めの前髪越しに覗く目は、動揺しているようにも、何かを覚悟したようにも見えた。 そのとき何かを思い出したのか、口元がゆるりと笑みをかたどる。その表情がハッとするほど徳井の浮かべるものと重なっていることに川島は気づいているのだろうか。思わず見惚れた後藤に川島はさらに口角を上げる。
「後藤さん」 「なんや」 「俺、あの人のブレス、外しました」 「……は?」 「それで、俺の腕時計あの人の腕に巻いたんです。それって、徳井さんと同じことしてるっちゅうことですかね? 福田さんを縛り付けるってことになるんでしょうか。福田さんのこと、傷つけてしまったんやろうか。ねぇ、後藤さんどう思います?」 教えてくださいよと嘲い、俯いてしまった川島が、泣いているように見えた。 あぁ、ここにも迷っているやつがいる。後藤は頭を抱えたくなる気持ちを抑えて、テーブル越しの川島の頭に手を伸ばし軽くツッコミを入れる。 「あほか。辛気臭い顔、すんな」 「いったいなぁ。なんですか、いきなり」 「あの根っからの一人好きが、川島のところに居るだけでも凄いことだと俺は思うな」 「……うわ、うそくさい標準語、さぶっ」 わざとらしく標準語で格好つけて、それでも本音を伝えれば、呆気にとられたように顔を上げた川島の表情が少しだけ和らいだことに、後藤は安堵する。兄さん実はアホなんちゃいますと毒づいてくる川島をいなして後藤は追加注文をする。今日はとことんまで酔いたい気分だった。
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kaleidoscope【30】 2007/09/20 Kanata Akakura
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