a Day in Our Life
「…あ、」
その日の収録が無事に終わり、楽屋に戻りながら、福田は誰に言うでもなく一人、呟いた。 自動書記気味に考えに耽っていたのだろうと思う。だからその時の自分が何を考えて、その事に思い至ったのかは分からなかったけれど、不意に脳裏に浮かんだ事柄に、一瞬困ったような表情を浮かべる。 どうしようか…逡巡するように考えを巡らせて、結局福田は、ポケットから携帯電話を取り出す。マナーモードにしていたそれを解除して、メモリーから相手を呼び出した。こんな時間に電話をしてよかったかは分からなかったけれど、出なければ留守番電話にメッセージを入れておけばいいと思った。 どだい、それすらがたぶん、言い訳に過ぎなくて。福田自身、ただ声が聞きたいのだろうとも思った。 ちょうど思いついた用事にかこつけて、川島の声が聞きたいだけなのだ、と。 ここ数日あまりに傍にいすぎたせいだったかも知れない。東京に川島を残して、遠く大阪までやって来た瞬間に、何だか頼りない気持ちになってしまった。それを不安感だと決め付けるのも勇気がいったけれど、結局のところ、自分はただ、怖いのだろうと思った。 何を。怖いと思うのか。徳井と二人きりになる事だったか。 自分の中で、少しずつ何かが変わっている予感がしていた。変わっていく自分を、徳井はどう思うのだろうか。 コールを鳴らすと、案外あっさりと通話が繋がる。少し多いくらいの数コールを待って、電波の向こう側の川島は、少し慌てた口調で福田を呼んだ。 『福田さん?どないしはったんですか』 声の背後が少しだけ騒がしい。外なのだろうな、と思った。それ以上は考える事もなくて、数時間ぶりの川島の声を聞く。 「川島。ごめんな、急に電話して…今、大丈夫け?」 『いえ、大丈夫です。それに、』 一拍の間を置いた川島は、続きを一瞬、躊躇ったのかも知れなかった。それでも余程大事そうに、言葉を続けた。 『声が聞けて嬉しいし』 屈託なくストレートに告げられた言葉に、電話を持つ福田が顔を赤くする。声が聞きたかったのは自分も同じだったのに、川島に先に言われてしまった。 「…あんな、大した用ちゃうねんけど、」 自分も素直にそう、言えたらどんなにいいだろうと思うけれど、結局言えずに本題に入ってしまう。それでも受話器から届く川島の声がひどく懐かしく、嬉しくて、ぎゅっと耳に近づけた。そうすると今日、左手首に巻いたばかりの川島の時計が視界に入って、何となく、心が落ち着く自分に驚く。 「今朝、朝メシに作った煮物の鍋をコンロに置いたままにしてきてもぅたん思い出して。夏場やから常温やとすぐ悪なってまうから、帰ったら中見て、まだいけそうやったら冷蔵庫に入れといてくれるか」 アカンな思たら捨てといてくれてええから、と続く福田の言葉に、川島は少し笑ってしまう。随分と所帯じみた会話が可笑しくもあり、ひどく幸せだろうとも思った。 『了解。あと、明日までに何か買うとくもんありますか?』 「…そやなぁ…、ほんなら合い挽き肉と玉ねぎ買うといて。明日は久々にハンバーグ作ろか思て」 『いいですね。ほな、後は適当に買うときます』 「おう。頼むわな、」 『はい、…じゃあ。福田さん』 うん、と妙に篭った相槌になった。通話の終わりを予感したせいだったとしたら、随分とセンチメンタルだと思った。どうにも女々しい自分にため息が出そうになる。川島を前にすると、弱くなる自分がいる。たぶん電波の向こうの川島には、そんな事もきっと簡単に看破されて、だから川島が少しの間を置いて、随分と柔らかな声で、 『また明日』 そう言った言葉を耳にこびりつけるように。余韻を残して切った電話の下、腕時計の針は、残りあと10数回。
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僅かに1分でも、秒針が一周すれば確実に時は刻まれる。そんなものをぼんやりと見ていたから、背後から近づく気配にまるで気付いていなかった。 「福田、何ぼうっと突っ立っとんねん」 よく通る高めの声を掛けられるのは、今日二回目だった。振り向くと思いのほか近くにいた小杉が、僅かに値踏みするような目線になった。 「妙な組み合わせやなぁ。今の川島やってんろ?」 何や会話おかしかったけど、お前ら一緒に住んどんの? 気付かないうちに最初から会話を聞かれていた事に軽い眩暈を覚えつつ、あれだけの会話で核心を突いてくる、小杉の鋭さと判断の早さに二度驚く。果たしてどう答えればいいものか、途方に暮れた福田をよそに、ゆっくりした歩みで福田に近づいた小杉は、足を止めることがない。 「ちゅーか、廊下で立ち話もおかしいやろ。お前も楽屋戻るんけ?」 続きは楽屋で、と言う事らしい。もう目と鼻の先だった楽屋のドアを開けて、小杉がさっさと中に入っていくのに続いて、福田も止まっていた足を動かす。ドアノブを手に、部屋に入った瞬間に、しまった、と思った。 電話をして出遅れた自分より先に、中には先に徳井が戻っていたのだ。この後にももう一つ仕事が残っていたから、もうしばらくしたら移動のタクシーが自分達を迎えに来る筈だった。咥え煙草のままごそごそと鞄の中を弄りながら、帰り支度を始めている徳井は、続けざまに入ってきた小杉と福田には特に気にした様子もない。その徳井に小杉が声を掛ける。 「お前、知ってたけ?福田、今川島と住んどるらしいやん、」 扱い的には同期で、ライバルであり絡みも多い付き合いの中の気安さで、小杉はあっさりと地雷を踏んだ。瞬間、じわりと肩を強張らせた徳井の僅かな反応に気付いたか、気付かなかったか。 渦中の福田は徳井以上に、全身を強張らせる。徳井には何も告げていない。それでなくとも何をどう、伝えればいいのかも分からなかったのだ。 「…へー。そうなん?俺、聞いてへんかったわぁ」 顔を上げた徳井は口元に笑みを滲ませて。お前なぁ、仮歯に続いて隠し事多すぎやろ、事後報告も大概にせぇよ、と冗談めかして茶化してくる徳井の顔を、もう、まともに見る事は出来なかった。
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kaleidoscope【29】 2007/09/19 Toshimi Matsushita
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