a Day in Our Life
福田はその細い手首にはめた腕時計を何度も何度も確認するように触れる。 出掛けに川島から借りたそれは、何度確かめても正確に時を刻んでいた。早くまわったらおもろいな、と思った自分に福田は今朝交わした会話を思い出して小さく笑う。
なんてことのない他愛もないお喋りをしながら、川島と並んで駅まで歩く。 以前の生活ではありえなかったシチュエーションに、まだ三日目だというのに急速に馴染んでいく感覚が不思議と心地よかった。
「福田さん、どうしはったんですか?」 軽くなったそこに違和感を覚えて無意識に手首をさすれば、目ざとく見つけた川島が首をかしげる。 「やぁ、なんか、ちょぉ、変な感じやねん」 手をひらひらさせて苦笑した福田の目に、少しだけ寂しげな光が宿る。だからといって今までつけていたブレスを巻くつもりはなかった。 川島の部屋に置いてこようとも一瞬考えたが、それは違う気がして、いま福田の鞄の一番底の部分で眠っている。
「そうですねぇ……ほな、これ使てください」 しばらく考え込んでいた川島は、ひらめいたように微笑み自分の腕にはめていた腕時計をはずすと、福田の手首にそっと巻きつける。 いくら福田の手首が華奢だからといって、女性に比べれば骨太だったから、ずるずるになることもなく少し緩いくらいに嵌るそれ。今まで巻いていたブレスレットよりも少し重くて、なんだかそれが心地よかった。 「借ってええの?」 「はい。多分これが一番福田さんのサイズにあいそうやから」 上等の笑みのオプションに福田は遠慮も忘れて、時計を凝視する。 「それにね、この針が20回まわった頃にはまた会えるって思えば寂しくないでしょ?」 「あほか」 なんて恥ずかしいことを言うのだろうと川島の顔を見れば、ポーカーフェイスを保とうとしているくせに言ったそばから紅潮していく頬。 自分相手に一生懸命背伸びしてくれている川島に、不意に胸の奥がぽっとあたたかくなるような愛しさが込み上げてきて、福田の目許もほころんだ。
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徳井は二日酔いだけでない重い頭を抱えて、新幹線の車内にいた。 煙の立ち込める喫煙車両の中、徳井も倣って煙草に火をつける。思いっきり吸い込んで肺いっぱいにニコチンが満たされていく感覚に身を委ねれば、少しだけ頭がすっきりしてくる気がした。 これからある仕事のこと、今朝の後藤の様子、舞台のこと、ネタ作り。考えることはたくさんあった。考えなければいけないことだとわかっていた。それでも抜けきらない倦怠感に、面倒臭さが勝って、思考することを放棄する。なるべく頭を空っぽにしようと努力すればするほど浮かび上がってくるのは結局福田のことだった。 ヘビースモーカーである徳井と違って福田は禁煙車両だから様子は見れない。だが、どんな風に過ごしているかは容易に想像がついた。 きっと愛用のアイマスクをして仮眠をとっているか、愛読書である立ち飲み屋の紹介本かバイク雑誌を読んでいるか、もしかしたらPSPでもやっているかもしれない。PSPという単語からゲーム好きな後輩のことまで連想してしまい、徳井の喉を苦いものが通る。 徳井の脳裏には、はっきりと見たわけではないのに、昨夜の後藤が話していた情景がくっきりと浮かび上がっていた。川島が福田を壊れ物を扱うかのように抱えるさま。 本来だったら、その役は川島ではなく、徳井のはずだったのに。どこでどう、ボタンを掛け違えてしまったのだろう。沸き起こる苛立ちと焦燥感に駆られて、癖のようにブレスに触れようとして、テーブルの上に置きっ放しできてしまったことに気がつき息を呑む。あのブレスレットは徳井にとって頼りなくても拠りどころだというのに。あぁ、本当についていない。煙を吐き出した後、浮かんだ笑みは自嘲気味に歪んだ。
「おはよう、徳井くん」 「はよぉ」 テレビ局の廊下を早足で歩く徳井の背中からぶつけられる声。振り向かずともわかる相方の声。 早足で駆けたくなる衝動を抑えて、振り向けば案の定福田の姿。 「同じ新幹線やったんかなぁ」 「そうみたいやなぁ」 「何や、めちゃくちゃ眠そうやないか、お前」 「まぁ、まぁ、寝たかな」 なんやぁ、ほんまに寝たんか?と心配そうに見上げてくる福田の顔を見たのが久しぶりな気がして徳井はさりげなく目をそらす。そして逸らした先の、福田の手首を見て徳井は言葉を失う。
いつからか福田と真正面から向き合うことができなくなった。 顔だったり、後姿だったり、こっそりと窺うようにして福田の姿を確認して。そんな時、福田の手首に交換した自分のブレスレットが巻かれていることにいつも安堵していたというのに。物に執着しない福田の、そのブレスレットだけは特別だというように常に身につけているということが、どれだけ徳井の心を安定させてくれていたことか。 だが、今、福田の細い手首には違うものが巻かれていた。初めて見る腕時計。サイズのあっていないことが気になるのか、しきりにそこに視線をやっては、時々口元をむずむずさせている福田のどこか楽しそうな顔。 「とくい?」 「福田こそ、寝れとんの? 顔てっかてかで体がりんがりんやないか」 ようやく切り替えした言葉に福田は小さく顔をこわばらせる。しまったと思ったときには福田の表情は苦笑めいたものに変わっていた。 「いっつものことやないかぁ」 「さよけ。ならええわ」 なんとなく重くなる空気。こんなもの望んでいないのに。徳井が再び口を開こうとしたとき、前方から見慣れた友人がやってくる。小杉だ。 徳井と同じように気づいた福田が挨拶すれば小杉の顔に人の良さそうな笑みが浮かぶ。 「よぉ、同伴出勤やないか。相変わらずやのう。あぁ、せや、吉田が徳井くるの待っとったんよ」 救われたような気持ちで無駄口をたたきながら三人は楽屋に向かった。
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kaleidoscope【28】 2007/09/14 Kanata Akakura
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