a Day in Our Life
指定した店に着き、奥の部屋に入ると、川島はもう先に来ていて後藤に気が付き、軽く手を上げた。
「もう着いとったんか。遅なってすまん」 「俺も今来たとこですよ。思ったよりはよ終わったんで」 「悪かったな、急に呼び出して」 「いえ、後藤さんの誘いは嬉しかったですよ」 事務的な会話を交わすうち、店員がお通しを持ってやって来る。とりあえずビール、と注文を入れて、川島の向かいの席に着いた。ジーンズのポケットから煙草と携帯を取り出す。一本に火を点けたところですぐに店員がビールを運んできた。 「ま、とりあえず」 指に煙草を挟みながらジョッキを持ち上げる。川島も同じ動作でちょっと合図して、ぐいと一口を煽れば、まだまだ暑い晩夏の外気に火照った体へ、冷たい喉ごしが爽快だった。渇きを潤して、ごと、とジョッキを置けば、一瞬の空白が過ぎた。 何から話したものか、と考えたのはお互いだったに違いない。勘のいい川島が後藤の意図に気付かない筈はなかったし、後藤は後藤で、川島の思惑を窺っていた。 咥えた煙草から、ふう、と息を吐き出す。紫煙の向かう先へつい目を細めれば、そんな後藤の様子をじっと見ていた川島のほうから口を開いた。 「後藤さん、疲れた顔してはりますね」 オンの気を張った状態から、オフのリラックスした状態へ。素の姿を晒した後藤の表情は、素であるがゆえに、年相応に疲れて見えた。目の下のクマが色濃い。肌もいつもより少し荒れていて、寝ていないのではないかと思った。 「昨日、徳井さんだいぶ飲んだはったみたいですけど、大丈夫やったんですか」 ずばりと斬り込んでみる。駆け引きは苦手だし、後藤相手に策を弄しても無駄な気がした。 面倒見が良くて後輩受けもいい、兄貴肌の後藤の事は、川島も内心で尊敬をしていた。色んな意味で芸人らしい後藤の生き方は、真似は出来ないまでも商売敵として、注目に値する。コンビとしてのフットボールアワーも、川島としては、いつか越えるべき壁だと思っていた。 そんな後藤はだから、後藤らしい神経の細やかさで、徳井を気遣っているのだろう。一応、養成所では半年後輩になるけれど、芸歴としては上。ライバルであり気心の知れた友人でもある。互いの才能は認めつつ、球威と嫉妬がない筈がない。そんな二人の関係は、川島が思う以上にややこしいのかも知れなかった。 それはある一面で執着とも言える。徳井に対して特別な何かを後藤は持っているのではないか。そしてそれは、自分と少しでも違ったか。 「おぉ、あんなデカい男家まで連れて帰るん大変やったわ」 笑って誤魔化した後藤は、質問の答えを微妙に摩り替えた。そっちはどやってん、と直ぐに切り返してくる。 「福田もだいぶキとったけど。しかもおまえ、方向おかしなかったか?福田のホテルあの辺ちゃうやろ」 何かを問いかけるようにじっと目を見られる。それに対してどう答えようかと、川島が迷ったところで、不意にテーブルの上の携帯電話が震えだした。 「あ、電話や。ちょうすみません、」 小窓から発信者の名前を見て取った川島が、さっと表情を変えて、慌てて立ち上がる。小走りで店の外に出て行く様子があまりない姿で、後藤は何となくその背中を見送ってしまった。よっぽど大事な電話だったか、それともよほど大事な人の。 後藤自身は素晴らしく勘が働くタイプだとは思っていない。そんなに聡い人間だとは思わないし、たまにびっくりするほど鈍い自分も知っている。けれど今回、何となくざわざわする感覚は確信に近かった。だから今の電話も、根拠もなしに相手が誰だか、分かる気がする。そしてそれが恐らく、間違ってはいないだろうとも。 しばらくして、行きと同じく早足で戻ってきた川島は、またすみません、と言いながら席に着いた。通話を終えた携帯電話を大事そうにテーブルに置く仕草に、少しばかりの余韻を感じた。 「で、何の話でしたっけ」 「今の、福田やろ」 改めてのタイミングで口から出た言葉がものの見事に被った。ぽかん、とそのままの状態で口を開けた川島が、後藤を見る。 「なん、」 「おまえ、福田が好きなん?」 唐突だろうが考えなしだろうが、どうでもよかった。確信を持っている間に聞いておかなければ、もう二度と話題にする事もない、と思った。責めるでも揶揄うでもない、ただ淡々と問うただけの、その質問を手のひらに乗せて、川島は一瞬、黙り込む。 「ずいぶん不躾なんですね」 「まどろっこしいのは好きちゃうねん。面倒やろ」 「後藤さんらしいっちゃーらしいけど」 言った川島はふふ、と笑う。そうすると年相応で、数えるほどでも年下なぶん幼く感じる。女受けするそのはにかんだ笑い顔は、誰を想ったものだったか。 「好きですよ」 宣言をするように、言った川島は随分と涼やかな目をしていた。まるでここにはいない福田を見るように、目を細めて唇だけで笑う。その微笑みが言葉以上に、正解を語った。 「やから昨日も、俺んちに帰る途中やったんです」 ついでに先ほどの質問にも答えてみせた川島は、少しだけ昔話をした。後藤にだから躊躇なく話せたのかも知れない、突然の腹痛騒ぎから、一気に加速した今の展開まで。田村以外の誰にも言っていなかった秘め事を第三者に話したことで、何となく肩から力が抜ける。誰かを好きだと想う気持ちを人に話して聞かせた事はなかった。口に出せばそれだけ、また大切な想いが降って落ちる。 一息ついたところで改めて、目の前の後藤を見た。 「それを言うなら、後藤さんはどうなんですか」 徳井さんの事どう思ってるんですか。問いかけてみれば、後藤の全てが止まる。動きも、表情も、思考でさえ。 徳井をどう思うのか。その答えはまだ、後藤の中であまりに不確かだったのだ。 「どうやろな……分からん」 …ホンマやで、と言い募った後藤は、言葉通りに持て余しているらしかった。川島のようには消化出来ていない。この気持ちも、何もかも。 「俺、徳井さんの事はホンマ認めてるんです」と、川島は言った。 スゴイ才能や思うし、男前やし、実際モテはるんやろうし、人柄もええんでしょう。けどね、と続いた。それでもあの人は人間として、何かが欠けてるとは思いませんか。相方ひとり大事に出来んような男が、一体他の何を守れるいうんですか? 「やから俺は、徳井さんが出来んなら。俺が福田さんを守りたい思うんです」 救いたい、とも聞こえた。川島の言う事は、全く間違っていなかったけれど、それでいて妙に切なかった。胸を抉られる感覚がした。果たして何を切ないと思ったのか、残酷にもそれがそのまま、後藤の考えと合致していたからか。それとも、徳井という男の抱える矛盾そのものを不憫に思ったか。 川島が福田を救えたら、徳井も救われるかも知れない。彼らの悪循環も、解放されるのかも知れない。 果たしてそれが正解なのかは、後藤には分からなかったけれど。そして彼らがそれを望むかも。 「川島、福田のブレスレット。いつも付けとるやつ、知ってるよな?」 「えぇ、」 急に話の矛先が変わった事で、川島が多少、虚を突かれた顔をする。川島は知っていただろうか。今更、福田が話題に上げるとも思えなかった。 「あれな、元々は徳井のやねん。コンビ組んだ時に冗談で交換したんやて」 「え…」 川島の顔色が変わる。一瞬にして様々なイメージが頭を駆け巡った。癖のようにいつも、気がつけば触れていた姿を思い出す。痕がつくほど握り締めていたそのブレスレット。外して欲しいと言った、震えるような福田の表情まで。 後藤はもちろん、川島と福田のそんなやりとりまでは、知る由もなかったのだけれど。ぐらりと揺れた川島の表情をじっと見、福田にとっても尚、それがいまだ効力を失っていない事を知る。 徳井にとってそうであるように、福田にとってもそれはもはや、手枷でしかなかっただろうか。
今の福田からそれを取り外してやれるのは、恐らく川島しかいないのだと思った。
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kaleidoscope【27】 2007/09/13 Toshimi Matsushita
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