a Day in Our Life
1999年01月17日(日) |
017:エアーポケット |
福田の夢を見た。
まだ屈託のなかった子供の頃は、遊びの延長でよく夢に出てきた気がする。けれど芸人を志して、相方、パートナーとしての関係に移行してからは、夢に福田が出る事はなくなっていた。だから、まるで子供の頃にタイムスリップしたかのように、夢の中の福田も幼い顔をしていた。 思えば夢に見ていた幼い福田は笑ってばかりで。本当は子供の喜怒哀楽で、様々な表情をしていたのかも知れないけれど、結局頭に覚えているのは唯一つ、笑い顔だったのかも知れない。 だから、今になって夢に出てきた福田の顔が、だんだんと歪んでいくのを、夢の中の徳井はなす術もなく見つめるだけだった。 何とかしたい、とは思った。笑って欲しい、とも。けれど何度も呼びかけた徳井の声は福田には届かず、その事が余計に福田を傷つけたようだった。必死に自分を呼んでくれる声が、涙声に変わる。あっ、と思った時にはもう、福田は泣いていた。 がば、と跳ね起きた。 カーテンを閉め忘れた窓から、街中にばらばらと散った灯かりがやんわりと差してくる。真っ暗ではない適度な夜の闇の中で、徳井の荒い呼吸だけが息づく。大きく息を吐いて、何や…と気が付いた。 「泣いとったんは俺か、」 頬に滑る涙の筋を、ゆっくりと指で拭った。
*
「何やねんなお前、しょーもない顔しくさってからに」
飲みに行こう、と誘ったのは後藤の方だったから、黙って付いてきた徳井がどんな顔をしていたって、文句を言われる筋合いはない。嫌なら誘わなければよかったのだ。徳井の様子がいつもと違う事くらい後藤にはたぶんお見通しで、恐らくはだから、後藤は今日というタイミングで徳井を誘ったに違いない。 また今日も同じ部屋に帰って寝るのは少し気が滅入る作業だったから、後藤の誘いは正直、ありがたかった。この口は悪いけれど気の良い友人は、人情の機微にも長けていたから、時にこんな小憎らしい心遣いをくれるのだ。 「また修羅場でも抱えとんのか」 お前もほんま、いつか刺されるで!と決め付けて笑った後藤は、たぶんそうではない事を知っていた。女関係の派手な徳井が、反面実にこざっぱりとそれらを遣り繰りしている事を知っていた。殆どが一度きりの関係だったり、若しくは後腐れのないタイプを好んで選んだり。何股もかけて、それらがバッティングしたとしても尚、片付いてみれば案外、修羅場らしい修羅場は数えるほどしか迎えた事がない。 だからそれは要するに、徳井の本音と建前なのだろうと、後藤は思う。 何かをひた隠すように女に溺れる徳井は、それだけの想いで何かを抱えている。それは頑なに奥底に追いやられていたから、どれほどの感情なのかは、さすがの後藤にも量りかねたけれど。 「まぁ、たまには思い切り飲んだらええやん。潰れても優しい俺が介抱したるから、鍵貸しといて」 心ここにあらずで、どこかぼんやりとした徳井は本当に珍しかったから、どんな事情であれ、出来る限りの力になってやれればと後藤は思う。だから当たり障りのない事を言ったつもりなのだけれど、それが今日に限って地雷を踏んだ事を、もちろん後藤本人は知る由もない。 鍵、のキーワードが引っかかって、徳井はびくりと体を揺らした。 あれからぐるぐると考えている。引越しの予定が延び延びになったまま、いまだ東京ではホテル暮らしの福田が、今このタイミングで何かしらの鍵を身近に持つ確率はあまりに薄かった。常泊しているホテルはカードキーだったし、キーホルダーの一つもついていない単体の鍵を持つ可能性は、殆ど一つ。最近、何かのきっかけで手に入れたという事になる。 考えられる展開は更に一つだけで、そこまで考えた徳井は、その先を放棄したままだった。それがほぼ確実な事実だったとして、だから自分はどう思ったか。喜怒哀楽、どれもがしっくり来ないようでいて、その全てをいっぺんに体感しているような気にもなる。 要するに、複雑なのだった。 果たして自分がどうしたいのか、さっぱり分からない。ただひたすらに胸がざわつく。落ち着かないこの気持ちを持て余して、目の前のアルコールに手が伸びる。けれど慣れないビールが喉を通る感覚がまた気色悪さを誘って、結局徳井が落ち着く先は、左腕に巻いた、 「お前それ、癖やねんなぁ」 無意識に触れたブレスレットを目敏く見て取って、後藤が肩を揺すって笑った。 長年愛用するそれを付け続けるのは、その出所を邪推されそうで不快で、それでなくとも徳井としては、長年付き合ってる彼女がいると思われるのも不本意だったから、ある程度を計算して、公の場に出るときは付けたり外したりしていた。けれどそれは常に尻ポケットだったり、愛用のバッグにだったり、いつも手に届くどこかで徳井を待っているのだった。そういえば今日はいつの間に付けたっけ、とぼんやり考えた徳井は、それが無意識の行動だった事に少しだけ自分で驚いた。 徳井のそういう曖昧な行動を、付き合いもそこそこ長くなる後藤はある程度は理解していた。いつか聞いたことがある、それは遠い昔に冗談で福田と交換したのだと、まだ若かった徳井は笑ってそう言った。 随分前の話なので、後藤の中でもその記憶は曖昧になりつつある。今になって聞き直すようなきっかけもなかったし、そもそもその必要がなかった。 けれど、と後藤は思う。 徳井がそのブレスレットに触れる時、それらは殆どが無意識に於いて、時に縋るように、時に慈しむように。まるで精神安定剤のような役割で、それはそこにある。嵌りやすいけれどおよそ執着はしない、淡白にも見える徳井が、唯一捨てずに持ち続けている特別な。 そこまで考えた後藤は、いや、唯一ではないな、と思い当たった。 もう一つ、捨てられずにいるものがある。捨てるという発想がそもそもないのかも知れない。それはいつも当たり前のように徳井の傍らにあったから、空気のように、だから失えば生きてはいけなくて。
徳井にとっての福田は、たぶんそういうものなのだろうと、ちくりと刺さった痛みをそのままに、後藤は思った。
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kaleidoscope【17】 2007/09/04 Toshimi Matsushita
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