a Day in Our Life
徳井より先にその事に気が付いたのは、たまたまの偶然だったのかも知れない。
その日、スタジオでの仕事を終え、次の仕事までは少し時間があったため帰り支度もゆっくりと、楽屋で寛いでいた時だった。他のコンビや芸人達は殆どがもう楽屋を出てしまい、大人数では狭く感じられたその部屋も、今は随分と広く見える。ふと、視線を動かした先に、川島は違和感を覚えた。 「…福田さん?」 部屋の一番隅のほう。あまりに地味な場所にいたために、彼がまだ楽屋に留まっていたことすら、川島は気が付いていなかった。椅子に座り込んで、前屈み気味なのは、両手で腹部を押さえているからだった。 「福田さん?」 呟き気味だった先ほどとは違い、今度は本人に届くくらいの声で。聞こえているのかいないのか、呼びかけてみても福田が顔を上げる気配はない。そして川島はあぁ、と思う。そういえば今日の福田は調子が悪そうだった、と今になって思い当たった。気のせいかと思っていたし、何より福田自身がいつもと変わらずに振舞っていたので。それでも、今思えばいつも以上にテカった顔に浮かんでいたのは脂汗だったし、何より不自然なほど笑顔を浮かべていた事が、福田が無理をしていた証拠だった。 「福田さん、」 そっと近づいて、肩をゆすってみる。もしかしたら軽く意識を失っていたのかも知れない、少しの時差を置いてゆるゆると頭を持ち上げた福田は、今度こそ分かりやすく顔色が悪かった。焦点の定まらない視線をさ迷わせて、やっと川島の前で止まる。 「かわしま…?」 「大丈夫ですか、気分でも悪い?」 まるでいつかの逆バージョンだ、と意識しながら、川島は福田の額に手を伸ばす。しっとりと汗ばんだ額はやや熱もっていて、その時点では風邪かと判断しかけた川島だったが、ぎりぎり届くくらいの小さな声で福田が、腹が痛い、と言ったので、これはもう、素人判断をせずに、病院に連れて行くべきだと考え直した。 「福田さん、もう少し喋れます?病院行ったほうがええ思うんですけど、この後の予定は?」 仕事があるのかないのか、あるのならどの程度引っ張れるものなのか。川島はそれを聞きたかったのだけれど、聞こえてはいるのだろうが、口を利く事もおぼつかないらしい福田の言う事は要領を得ない。部屋の中をぐるりと見回しても今、ここにいるのは自分達二人だけで、どうする事も出来なかった。 福田の相方である徳井の携帯番号は知らなかったから、とりあえず自分のマネージャーに相談をしようと携帯電話を取り出しながら、無意識に本音が漏れた。 「こんなんなっとるのに、徳井さんは何も気付かへんかったんか」 言いながら、怒りにも似た苛立ちを感じていた。相方で、二十年来の幼馴染だというのなら、もう少し何か、気が付いてもよかったのではないか。それはほんの些細な変化だったかも知れないけれど、気付いてやるのが徳井の役目ではなかったか。 「…ちがう、」 吐き捨てるような川島の怒りを受けて、弱弱しく、けれどはっきりと福田の声がそれは違う、と言った。 「とくいくんは、わるないねん」 「…何でですか」 この期に及んで何で庇うんですか、と川島は呆れる。時折、差し込むような激痛に耐える表情を浮かべながら、左手首にいつも巻かれたブレスレットを福田はぎゅっと強く握り締めるから、赤く痕がついてしまっていた。何を食べて生きているのか、細い身体を折り畳んで、何か唯一つ大切なものに縋るような、それでも徳井に対して健気な福田に、川島は苛立ちを隠せない。病人だという事も忘れて、食いつくように答えを求めてしまった。 「俺が、気付かれへんように振舞っとったから…気付かれんで当たり前やねん」 だからむしろ、気付いた川島の方がおかしいのだと福田は主張する。その答えを既に川島は持っていたけれど、今ここで言うつもりはなかった。
だって、俺は、あなたの事が好きだから。
それはじわじわと侵食するように自覚しつつある、川島の意識の問題で。最近は、福田の姿を確かめる作業が増えていたから、本当に些細な変化にも気付いてしまうのだ。 そして、今の川島には何となく分かる。徳井が気付かなかったのにも訳がある。福田の振る舞いにも因るけれど、それ以上に、徳井が意識して、福田と距離を取っている事。必要以上に見ないように、触れないように。ひどく不自然な彼らの関係は、川島の理解には及ばなかったけれど。 けれどそれならば、と川島は思う。
そんな軽薄な関係なら、あなたを奪ってもいいですか。
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kaleidoscope【5】 2007/08/27 Toshimi Matsushita
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