マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

書き続ける理由 - 2005年04月15日(金)

おひさしぶりです。

とかいうような、「読んでいる人への呼びかけ」みたいなのは基本的に嫌いなのだが、さすがに3ヶ月くらい放置していると、いきなり平然と何かを書くというのも、なんとなく居心地が悪いので。

この4月から、僕の生活はけっこう劇的に変化している。今まではずっとパソコンの前に座っていたのだけど、最近は朝から晩まで慣れない環境であわただしく立ち働いて、ようやくパソコンの前に座れるのが、22時とかになってしまっている。それにしても、実際に自分がその現場にいるときには、「医療の理想」なんて、考える気にもならないなあ、とかいうことがよくわかるし、そんなこと考えている暇があったら、手を動かせ!という世界なのだよここは。最前線の兵士は天下国家のことなんて語らない、あるいは語りたがらない。前線で考えるのは、恋人のこととか、食べ物のこととか、もっともっと即物的なものだ。「大局的な視点」でアレコレとものを言うのは、大概、後方で作戦ばっかり練っているような人たちばかり。

それでも、僕はネットにほとんど毎日何かを書いていて、自分でもそんなヒマがあったら勉強するか寝るか、せめて本でも読むべきだと思うのだけれど、実際は何かを書かずにはいられない。そして僕は、自分に向かって「お前はこんなにボロボロなのに、なんでいろんなものを削ってパソコンに向かうのだ?」と問いかける。まったくもって、こんなもの、1円にもなりはしない(というか、時間と金のムダ)。

なぜ書くのか?という問いに対して、ある人は「ネットで友だち(あるいは、それに類する存在)を探したい」と言い、ある人は、「作家志望だから」と言い、またある人は「自己満足だ」と言う。そしてまたある人は「書くことが好きだから」と言う。「アクセスを稼ぐというのは、ひとつのゲームなんだ」と言う人もいる。

僕は、自分が「書く理由」について、新しい環境にやってきてから、ずっと心の片隅で考えていた。なぜかというと、それがわかれば、「こういうムダな時間の浪費」を止めることができるのではないか、と思ったから。アレルギーの治療のためには、アレルギーの原因物質の特定が不可欠であるように。

でも、正直言って、自分でもよくわからない。何が楽しくてこんなことをやっているのかが。たぶん、広告の裏に書いても自分としては3日と続かないだろうから、自己顕示欲とか、自己満足とか、アクセス稼ぎというゲームの魅力とか、そんないろんなものが入り混じっているのだろうが。

ただ、これだけは確かだ。
何かを書いて、次にパソコンの前に座るとき、そこには何か新しいことが起こっているのではないか、という、漠然とした期待感みたいなものがある。例えば、宝くじを買ったあととか、釣り糸を垂らして、ウキを眺めているときとか、そういう感触。
もちろん、「ハズレ」であることのほうがはるかに多いのだし、僕もネットに擦れてしまって、そういう気持ちもだいぶ薄れてしまったのだが、それでも、あらためて考えると、こうやって何かを書いて「待つ」というのは、僕にとっては、ものすごく楽しいことなのだ。
別に魚が一匹も釣れなくても、「釣れるかな?」とぼんやり水面を眺めているのも、それはそれで悪くない。

まあ、全く魚がいないところで釣り糸を垂れていても楽しいか、と問われたら、やっぱりそれはつまらないとは思うのですけどね。



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