マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

ファントム・ペイン - 2004年09月06日(月)

 以前、中島らもさんのことを書いたときに、こんなリアクションを何名か野方にいただいた。

「中島らもみたいな麻薬orアルコール中毒で、大麻推進派の人をあなたは擁護するんですか?」

 それは、僕にとってはなんだかとても答えにくい「問い」だった。
らもさんが書いたものは、むしろ読むことによって麻薬の恐ろしさを実感できるものだと思っているし…なんて答えたのだけど、実際は「でも、らもさんが書くものは面白いし、らもさんの生き方には、僕をひきつけてやまないものがある」というのが率直な気持ちだった。
「作品と作者は別人格」かどうかには、異論があるところだろうし、らもさんが「麻薬(とくに大麻)推進派」であったという点からすれば、「そういう人間を支持するのはおかしい」という意見は、けっして異常なものでもないし、むしろ常識的なものだろう。

 渡辺恒雄という人がいる。
彼は巨人の前オーナーで、日本プロ野球界一の実力者であり、おそらく日本野球界最大の悪役だろう。アンチ巨人の僕にとっては、まさに憎悪の対象なのだ。
 しかし、僕はこんな話も聞いた。
 ナベツネというのは、ああいう暴言ばかり吐いているようだけれど、自分の部下には非常に優しいし、「何があっても最後まで責任を持って面倒をみる男」なのだという。
 確かに、世間的に言い尽くされている「負の面」だけしかなければ、あの年まで球界の実力者として君臨できるわけがない。
 「自分の手下だけをかわいがる」というのがトップの態度としてどうなのか?というのは、確かに疑問ではあるけれど、少なくとも「味方になってくれれば、これ以上ないくらいに頼れる男」なのだ。

 サイトをやっていると、さまざまなリアクションをいただくことがある。
 それは、僕にとってありがたいと同時に、ひどく怖いものだ。
 メールをいただいても、タイトルから感じられる「空気」によっては、開封することすら避けたり、何行か読んで「ヤバイ」と思ったら、それ以上は読まないようにすることだってある。
 「どんな批判だって受ける」と言えるほど、僕は強くはないし、「あなたは私を傷つけた」と言われて「読むほうが悪い」と完全に開き直れるほど悟りきってもいないし。

 もちろん、褒められるのは嬉しいけれど、その一方で、なんだか、自分の「虚像」みたいなものがどんどんできあがってしまって、何をやっているのか自分でもわからなくなることがある。
 いずれにしても「そんな人間じゃないのになあ」という違和感は、どんどん大きくなっていくばかり。
 多くの人は、僕の虚像の、さらに一面だけを見て、褒めたりけなしたりしているのだし、僕自身も、たぶん同じことを周りの人に対して日常的に行っているのだ。

 ロシアの学校占拠事件を見て、「なんでテロリストたちは、あんな酷いことをするのか?」と思った。
 でも、そういう感性すら、所詮「とりあえず平和で食物に困らない日本に住んでいる人間のもの」という前提条件に強く影響されているものだ。
 テロリストだって、好き好んで子供を殺したいと考えているとは限らないし、彼らの置かれている立場は、「黙って殺されるか、自爆テロをやるか」の二者択一なのかもしれない。
 少なくとも、「テロリスト遺伝子」なんていうものが、人をテロリストにしているわけじゃないだろう。
 しかし、それでも僕はやっぱりテロはあってはならないことだと思うし、許せないと思う。人は、自分の「背景」から逃れることは難しいし、公平であろうとすることが、結論を放棄することになる場合だってあることも僕は理解している。物事に対して、すべての角度から見ようとすれば、今夜の夕食のメニューですら一生かけても決められないかもしれない。なんらかの「立脚点」がないと、生きるというのは本当に不安定で。

 僕はたぶん、自分の望む「あるべき自分のイメージ」のようなものをネット上に作り上げて、その虚像が傷つけられることに対して悲しみとか、憤りを感じているのだろう。
 その反面、そんな「あるべき自分」が実際の自分とはかけ離れたものであるということに、自分でもイヤになってみたりもするわけだ。

 結局、ネット上で誰かが100%一方的に被害者だったり加害者だったりすることなんて、まずありえない。
 「誰かに傷つけられた」という言葉もまた、誰かを傷つけていることだってあるのだ。
 どうしてそれでも書こうと思うのか、自分でもよくわからない。
 ただ、そこに「痛み」を感じる心が残っているのを実感できるのだけは、紛れもない事実で、それは、「生きている実感」みたいなものなのかもしれない、とも思う。



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