大事なのは、「何を観ているか」だけではなくて。 - 2004年08月23日(月) 平坦になった心電図を見ながら御家族が来られるのを待っていると、耳に「野口、金メダルです!」という威勢のいい声が流れ込んできた。 食堂のテレビからは大きな声が廊下に響いていて、その周りでは、おばあちゃんたちがテレビを観ているのかいないのかわからないようなふうで、朝食を淡々と口に運んでいる。 そんな、日常。 この世界にはオリンピックの結果に一喜一憂する人々がいる一方で、病院で愛する人の心臓がいつ止まるかとモニターを見つめている人たちもいるし、そうやって、モニターをつけられている人たちもいる。 そんな、オリンピックなんて考える余裕もない人たちの傍にも、アナウンサーの絶叫は流れてくる。 「やった、金メダルです!」 たぶん、オリンピックを楽しめるというのは、幸せなことなのだろうと思う。 でも、そんなに無邪気に現実逃避ばかりしていてもいいのかな、なんて時々感じる。 とはいえ、遠い国では、絶望しきった人々が、唯一の希望の光として、自国の選手たちの姿を眺めているのだ。 結局、何が正しいというより、自分がどこに立ってそれを観ているか、ただ、それだけのことなのかもしれない。 ...
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