マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

「安定感」の重要性に気がつかない人々 - 2004年07月16日(金)

 どうも「天才的なひらめき」みたいなものに憧れがちなのだが、実際に社会人として生きていると、本当に大事なものは「安定感」なのではないか、という気がすることが多い。
もちろん、画家や音楽家は、「80点の作品をコンスタントに書く能力」よりも、「40点があっても、120点を出すこともあるような閃き」みたいなものが大事な場合もあるだろう。それはよくわかる。

 でも、多くの場合においては、その「40点の瞬間」というのは、大きな問題なのだ。
例えば、いつも一生懸命仕事をやっているし、有能なのに、何ヶ月かに一度、突然「もう頑張れないので帰ります」と大事なプレゼンの前に突然帰ってしまう人。日頃はどんなに優しくても、酔うと暴力を振るう夫。

 突然キレてしまう人には、どんなに優秀であっても、大事な仕事を任せられないと思うのが人情だろうし、日頃の優しさよりも殴られた痛みのほうを忘れられないのが人間だ。
それならむしろ、あまりきらめく才能はないけれど、確実に仕事をこなす人間に重要な仕事は任せよう、とか「ものすごくカッコよくはないけれど、理不尽に怒ったり暴力をふるったりしない人と結婚しよう」と思う人というのは、けっこう多いのではないだろうか?
「心の波が激しい」というのは、本人が意識している以上に、周囲にとってはデメリットなのだ。
子供を不安にさせるのは、多くの場合「厳しい親」よりも「そのときの気分によって、怒る基準が違う親」だったりするわけだし。

 世の中には完璧な人間なんていないのだけど、「どうして自分はこんなに頑張っているし、有能なのに、評価されないのだろう?」という気持ちがある人は、自分が「安定感のある人間」かどうかを考えてみたほうがいい。
 辛いとき、きついときでも、他人に八つ当たりしたり、仕事を投げ出したりしないかどうか?

 もちろん、あまりに平板な感情表現というのは、面白くない。
 でも、「感情の起伏が激しい」というのは、とくに責任のある状況では、けっしてメリットにはならないのだ。

 「能力」を追い求めるわりには「安定感」を軽視していて、自分で考えているほど周囲から評価してもらえない人というのは、けっして少なくはない。本当は「能力」と同じくらい大事な要素なのにね。


...




My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail Home