マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

「本当に書きたいこと」 - 2004年06月23日(水)

なんだかいろんなところにいろんなことを書き散らかしていて、ここがすっかりおろそかになってしまった。
最近また、僕の知っているサイトのいくつかが閉鎖したり更新停止になったりした。人気サイトというのは、やっぱりみんなそれなりに辛いものらしくって、ストーカー行為みたいなのにあったり、誹謗中傷メールをずっと送ってこられたりもしていたらしい。
「人気サイトはいいねえ」なんて僕もサイトというものをやりはじめた当初はずっと思っていて、なんとかしてたくさんの人に読んでもらおうと必死だった。ある意味自分を切り売りしてでもアクセスカウンターを回そうと思っていた時期があったのだ。
タイトルに「看護婦」と入れたらアクセスアップ!とかね。
今から考えたらバカバカしい話だが、それはたぶん、今は「余裕」があるからだと思う。

サイトというのは、大きくなればなるほど、リアクションは大きくなる(もっとも、僕の場合は「身の丈まで」ということだから、1日数百レベルのアクセスしか実感はできないのだが)。
そして、たくさんの人がみてくれるということには、当然メリットとデメリットがある。
メリットは、「多少マイナーな話でも、分母が大きければ反応してくれる人がいる」ということだ。100アクセス/日のサイトは、100人にひとりしかわからないような話はしにくいが(もともと同好の士ばかり集まっていれば別)、10000アクセス/日のサイトなら、10000人のうち100人しかわからないネタだってなんとかなるのだ。
それに、応援してくれる人だって多くなるしね。

デメリットとしては、「反感を持つ人も多くなる」ということがある。「あんなにアクセスが多いのに面白くない」とかいうのは、本来逆恨みみたいなものだ。「世界の中心で、愛をさけぶ」が300万部売れる小説か?と問われたら、僕は「そんなに売れるほどのものじゃない」と即答する。でも、だからといって、作者の片山恭一に「どうしてお前の本は、あんなベタなだけで目新しさのない小説なのに、あんなに売れるんだ!」と文句を言っても仕方のないことなのだ。書いたのは片山氏だが、それで商売しているのは出版社だし、買うのは読者だ。宣伝に踊らされて買うほうの責任のほうが大きいだろう。売れたからといって、必ずしもいい小説とは限らないが、売れたからといって非難される筋合いもないのだ。売れなかったら「隠れた名作」だったかもしれないし、他人の評価なんてのはアテにならない。

そして、言葉というのは遠慮なく他人を傷つける。
(以下の文章は、あくまでも「例文」なので、僕の思想とは関係ありません、ということにしよう)
たとえば僕は、育児日記というのが、正直なところちょっと苦手だ。
もともとあまり子供は好きじゃないし(ほら、ちょっとここで引いたでしょ?)、自分の子供のことばかり語られても…とかつい考えてしまう。
なんだか、そういう幸せな家庭をみると、不完全な自分というのが浮き彫りにされてしまうような気がするのだ。「この年になって子供がいないというのは、人間として何かが足りないのではないか?」なんて。
もっとも、僕の場合は自発的に独身なのでしかたないが、子供ができない夫婦の場合は、こういう日記に対する思いは、もっと切実だろう。
でも、そういうのは、書いている側に悪意があるわけじゃないし、別に悪いことを書いているわけじゃないのだ。
それでも、言葉というのは誰かを傷つけることもある。

ひとりの女性がいて、A君とB君から求愛されていたとしよう。彼女がA、Bともに悪意は全く抱いていなかったとしても、Aを選べばBは傷つくし、Bを選べばAは奈落の底。言葉は、そういう酷薄を内包している。

そんなことを考えていると、どんどん書きたいことが書きにくくなっていく。僕は2年半くらいずっと某所で「文章読み日記」というのを書いているのだが、最近実感しているのは、「書きたいことを書くというより、なるべく批判されにくい文章を書くようになってきたなあ」ということだ。おかげで「ただし、○○の人は除きます」とか、但し書きばかりが多くなって、テンポは悪くなるし、結論も曖昧になってしまっている。

僕はマスコミは好きじゃないけれど、彼らが背負っているものを考えたら、ある程度「ウソツキ」あるいは「書けない事もある」というのは、やむをえないのかもしれない。生活だってあるし、身の安全だってあるし。少なくとも、大新聞に記名記事を書くような人は、けっこう抗議とかを受けたりしているのではないだろうか?
だから、一概にマスコミ批判だけをやるのも良くないな、と最近思っている。もっとも、僕は彼らを信用することはない。「取材に答えなかったら、なんて書かれても知りませんよ」という、彼らの末端の言葉を実際に耳にしたからね。

でもね、最近こんなふうにも思うのだ。
本当は、誰かに読んでもらって、構ってもらいたいだけで、僕には「本当に書きたいこと」なんてどこにもないんじゃないか?って。
たぶん今の僕には、「誰かを自発的に傷つけてまで書きたいこと」なんて、ありはしない。

ただ、頭をなでてもらうためだけに尻尾を振って芸をしてみせる、寂しがりやの動物。



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