マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

「正しさ」と「正しさ」の衝突の果てに - 2004年05月25日(火)

ひとつだけ言えることがあるとするならば、「悪いことをやろうと思ってやっている人は、世界中にほとんどいない」ということだ。オウム信者が地下鉄でサリンを撒いたのは、彼らなりの「理想社会」という強迫観念に基づいたもので、テロリストが飛行機で世界貿易センターに突っ込んだのだって、「アメリカ帝国主義に一矢を報いる」という彼らなりの正義に基づいたものなのだ。
世界は「ロード・オブ・ザ・リング」の冥王サウロンのような「絶対悪」は存在しない。もしそうであれば、それほどラクなことはないのだが。
そのかわり、「ロード・オブ・ザ・リング」の旅の仲間のあいだに起こったような「疑心暗鬼」は、常に身の回りにうずまいている。
ボロミアが指輪に心を囚われたのは、彼の国の現状をなんとかしたいという「正義」からであり、フロドが仲間から離れたのも、「指輪を野心から守る」という「正義」に基づいた行動なのだ。
「正義と悪」というような、ブッシュ大統領が得意な観念なんてのは世界にはたぶん存在せず(世の中には、ごく一部だけ「悪いことをしたい」という人も確かにいる。でも、それはごく一部だ)、大概の争いは「正義対正義」によって起こる。北朝鮮の拉致事件について、あの国はそんなに罪の意識を持っていないのではないか、なんて僕は思っている。「だって、日本は太平洋戦争でわが国を侵略して、多くの犠牲者を出し、民族のアイデンティティをぶち壊したじゃないか。それに比べたら、拉致被害者の数なんて微々たるものだろう?」そういう「彼らの正義」と「拉致は悪いことだ。同胞をすぐに返せ!」という「僕たちの正義」がぶつかり合っている。
お互いの間違っていたところを認め合って改善の方向にすすめばいいのだが、残念なことに大概の争いはそうはならない。
だって、「自分たちは正しい」のだから。
そして、そのことがまた、悲劇を深めていくのだ。

譲り合って、お互いの正義を尊重しあえたら、なんて思う。
でも、その一方で、拉致問題を解決するもっとも手っ取り早い方法は、アメリカ風に「正義」と言う名のミサイルの雨を降らせることなのではないか、という考えが浮かんできて仕方が無い。
要するに「より強いほうが正義」なのではないかという、シンプルかつ暗澹たる結論。
「より正しいから勝った」のではなく「より強かったから自分たちを正当化できた」という、歴史の冷酷。



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