マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

なぜ、『ドラえもん』が好きだったのか? - 2004年05月26日(水)

よしもとばななさんの「デッドエンドの思い出」を読んでいて、僕は一つのことに気がついた。
それは、「僕はなぜ『ドラえもん』が好きだったのか?」という理由。
今まではね、ひみつ道具が欲しいなあ、というのが僕の『ドラえもん』好きの理由だと思っていたんだけど、どうもそれは違っていたみたい。
僕はきっと、「ドラえもんのような友達が欲しかった」ただ、それだけなのだと思う。ひみつ道具なんかは二の次で。
ドラえもんはいつも部屋にいて、ちょっと困ったような顔をしながら、ときどき、どら焼きをおいしそうに食べたり、マンガを読んで面白そうに大笑いしたりする。
頼みごとをすると面白そうに引き受けてくれることもあれば、あきれて説教をはじめることもある。
でも、ふたりはすぐに元にもどる。
ドラえもんは、いつもそこにいるのだ。

彼らはお互いに、自慢したりあきれたり、頼ったり頼られたりしながら、「しょうがないなあ」なんて腐れ縁を続けていて、どちらかがピンチに陥ったら、全力で相手を助けようとする。
「高めあう人間関係」なんてプレッシャーは二人のあいだには存在しないし、たぶん、日頃は「暇だねえ」なんてときどき言い合いながら散らかった部屋に寝転がって、読み飽きたマンガを読んでいるのだ。

いつまでも、いつまでも変わらずに続いていく日常。

僕はたぶん、何かを競い合ったり、自分の意見を声高に主張するより、そういう生き方が好きなのだと思う。
にもかかわらず、僕にドラえもんはいないし、そういう生き方が好きな自分を「認める」ことができないのだ。

ああ、でもこうやって何かを文章にすることが、今の僕にとっての「ドラえもん」なのかもしれない。


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