マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

人はなぜWEB上の「日常日記」を読むのか? - 2004年05月21日(金)

 このあいだ、『Love Story』というドラマの再放送を観ていたら、その中で人気恋愛小説家役のトヨエツが、中山美穂演じる担当編集者に、こんなことを言っていた。
 「読者はどうして僕の小説を読むと思う?あたりまえの人生を送っている人は、そんなドラマチックな恋愛体験なんてありはしない。だから、僕の小説を読んで、そういう恋愛を『体験』するんだ。それが、僕の小説の役割なんだよ」
 まあ、これは脚本を書いた人の気持ちを代弁しているものだと僕は感じたのだけれど。
 文章を読むという行為には、ひとそれぞれの「理由」がある。「知識を得たい」とか「物語を愉しみたい」とか「この作者のことを知りたい」とか。

 でも、そう考えると、「人はなぜWEB上の『日常日記』を読むのか?」という疑問に突き当たる。もちろん、若い女性の日記とかは、「女性心理を知りたい」とか「萌え〜」みたいなので人が来るのはわかるのだけれど。
 タダだし、文学作品より親しみやすいからなのだろうか?
 もちろん、「他人の生活を覗いてみたい」なんて興味もあるだろうし…
 しかし、そういうのって、はたして「知識欲」や「笑いたいという切望」を上回るだけのモチベーションになりうるのかどうか…

 ただね、僕は最近つくづく思うのだが、いくら面白くても、WEBにだけ頼ってはいけないよ。ごく一部の奇特な人を除けば、人間はみんな「お金になるものはお金にしようとする生き物」なのだ。所詮、お金が要らないものにはそれだけの価値しかないか、もしくは、必要な情報を得るのにものすごく手間がかかるかのどちらかのことがほとんど。
 だから、ときどきはお金を払って、プロの作家が書いた本を読んだほうがいいと思うよ。もちろんそれも玉石混合だけど、平均的なレベルはやっぱり「タダのものより高い」はずだからさ。

 まあ、日常日記を読む理由というのは、「書いている人への興味」、コレに尽きるというのはわかっているんだけどねえ。
 こればっかりは、自分ではどうしようもないんだよなあ…


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