マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

『ドラゴンクエスト』本紀(1) - 2004年03月28日(日)

「ドラゴンクエスト5」が発売された。
僕は基本的に、何かを読み返すとかいうのがあまり好きではなくて(でも、小学生の頃に買ったマンガは、必ず翌日も読み返していたけどね)、「この映画大好きだから、もう3回も観た」なんていうのは、ちょっと信じられないのだ。
だって、一度観たら、ストーリーは頭に残っているし、「好きなものの再確認」のために、何度も見直すくらいなら、別のものを観たほうが時間を有益に使えるのではないか?という気持ちを持っていたのだ。
でも、「ドラゴンクエスト」だけは、遊ばずにいられない。
たぶん、僕自身の人生ともリンクしている(と自分で思いこんでいる)からだ。「ドラゴンクエスト」について思い出すと、そこにはすべて、その当時の自分の姿の記憶がある。それは、寂しい転校生だったり、寮からの束の間の脱出であったり、大学時代の閑散とした部屋だったりした。

「ドラゴンクエスト」シリーズとは、長い長いつきあいになる。
「ドラゴンクエスト」は、発売当初、「ファミコンで『ロールプレイングゲーム」というのができる!」ということで、週刊少年ジャンプでしきりに宣伝されていたのだが、当時パソコンゲーム少年だった僕は、「ケッ、あんなの『ウルティマ』や『ウィザードリィ』のパクリじゃないか」とか思っていた。実際に『ウルティマ』や『ウィザードリィ』で遊んだことはなかったにもかかわらず。
 たぶん、そういう耳年増な時代だったのだと思う。
 
 ちなみに、後年『ウルティマ』や『ウィザードリィ』も遊んではみたけれど、僕にとっては断然『ドラゴンクエスト』のほうが面白かった。パクリだろうがなんだろうが。まあ、ゲーム内容以前の「操作性」というところで、『ドラゴンクエスト』は、ものすごく優れていた。
「たいようのいし」の場所がわからなくて、はじめて誰かに「謎解き」を聞いたのもこのゲームが最初だった。答えを聞いて、ちょっと腹立ったけど。

 『ドラゴンクエスト』は、それなりに話題にはなったし、「面白い!」と思ったゲームなのだけど、ちょっと物足りないところもあった。なんといっても、3日で終わる。
 そんなある日、家にエニックスから、一枚の絵葉書が来ていたのだ。
『ドラゴンクエスト2』発売のお知らせ。
 アンケートはがきを送ったからだと思うのだが、当時「新作ゲームの情報を誰よりも早く知ることができる」というのは、ものすごく嬉しいことだったのだ。今みたいに、新しい情報が秒単位でネットを駆け巡る時代じゃない。
 向こうからしたら、僕への絵葉書など「ワン・オブ・ゼム」だったのだろう。でも、僕にとっては「自分に特別に『ドラゴンクエスト2』の秘密情報を教えてくれた!」という気がしたのだ。
 しかも、今度は、仲間が増えて、多人数同士の戦闘ができるという。
 『ドラゴンクエスト』は、ゲームのエンディングを変えた素晴らしいラストをはじめ、3日で終わっても「買ってよかった(というより、手元にあってよかった!)」ゲームだけど、長さのほかの不満があるとすれば、1対1の戦闘では、「この敵に攻撃されて受けるダメージは、最大○○ポイント」というのが「読める」ということだった。しかし、敵味方の人数が増えることによって、戦闘のバリエーションは、大きく広がることになった。

 そしてついに『ドラゴンクエスト2』の発売日。当初発売予定だった年末を過ぎての発売だったが、その姿はあっという間に店頭から消えた。
 それは、ひとつの社会現象だった。


(2)に続きます。



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