他人に何かを伝えるために、必要な文章の長さ。 - 2004年03月24日(水) 先日、車を運転しながらラジオを聴いていたら、卒業シーズンらしく、こんなFAXが読まれていた。 【今年小学校を卒業する娘へ キミが私の娘で、本当に良かった。 体が不自由な弟のために、勉強ができるのに地元の学校に進学してくれてありがとう】 要約すれば、そういう内容で、僕はそれを聴きながら「ああ、いい娘さんんなんだなあ」なんて、やや感動モードに入りかけていたのだけど、どうも次第にクールダウンしてしまった。 その原因は、そのFAXが「ひたすら長い」ものだったから。 その「娘への手紙」は、いろんな思い出が綴られていたのだけれど、「娘への個人的なメッセージ」を延々と聞かされるというのは、第3者である僕にとってはけっこう苦痛だった。そして、「これは長い…」と悟ったDJが途中からどんどん早口になっていったのも、僕の苛立ちに拍車をかけた。 たぶんDJは下読みの段階では「いい話だ…」と感動していたのだろうが、自分で読み始めてみると、そのあまりの長さ、くどさに気がついて焦っていたのだろう。 いや、内容そのものは、すごくいいことが書いてあったし、娘への愛情も感じられた。 しかしながら、いかんせん「長い!」 何かを誰かに伝えようとするとき、僕たちは内容にこだわりがちだが、「話の長さ」というのは、おそらく重要なファクターなのだと思う。もちろん状況によって、適切な長さというのは異なっていて、さきほどの「娘への手紙」も、電波にのせるものでなく、直接娘に渡すのなら、必要にして十分な長さだろう。 結婚式のスピーチなどは、「適切な長さ」が重要な文章の冠たるもので、あまり関係のない地元の偉い人のスピーチなんて、短ければ短いほどいい。友人代表のスピーチは、あまり短いと寂しいが、少なくても「長すぎる」よりは、はるかに親切というものだ。挨拶をする人は自意識過剰になりがちだけど、他の招待者は、まぎれもなく新郎新婦が主役なわけだし。 だいたいの話は、送り手が「ちょっと短いとみんなに思われるかな?」と感じるくらいで止めておいた方が、本当は良いのだ。おそらく、そのくらいで丁度いい。 以前、井上ひさしさんが、文章の書き方について「まず書いて、自分の一番気に入ったところをバッサリと削るようにしなさい」と言われていた。なぜかというと「自分で気に入っているところは、かえって表現が冗長になっていてリズムが悪くなっていることが多いので、読む側には鼻につくから」なのだそうだ。 「結果として長くなってしまった」というのはともかく、原則的にはなるべく短い文章のほうが良い。とくに、何かを誰かに伝えようとするためには。「内容」のみならず、「長さ」も技術のうちなのだ。 ちなみに、この文章が「長すぎる」のは言うまでもない。 ...
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