マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

就寝前自動筆記装置(その1) - 2004年02月16日(月)

 明日は早いのだが、寝る前に10分だけ思いついたとりとめのないことを書いてみたいと思う。10分経ったら寝る。
 インターネットは自由なメディアである、と僕はなんとなく思っていたのだが、最近はどうもそうでもないような気がしてきた。でも、考えてみたら自由である必要性なんてどこにもなくて、僕は自分の書きたいことがかけて、それなりの反応があればいいのだ、ということもわかっているのだ。そこが何者かに制限された世界であっても、誰かの掌の上で踊っているだけにしても。
 僕は「運命」なんて信じない。自分の仕事がうまくいかないことやモテナイことは「運命」だと思うこともできるが、生まれてすぐに餓死してしまう子供や宅間の犠牲になってしまった子供たちに「それが運命だったんだ」なんて言葉をかけられるほど傲慢にはなれない。
 ネット上で誰かと論争するのはドキドキするし、自分がいっぱしの論客になったようで気持ちいいが、その実、僕はデモに参加しようとしたこともないし、選挙権すら放り投げてしまうことも多い。「ゴタクを並べるやつより、行動するやつのほうが偉い」そんなことを考えると、穴があったら入りたい気分になるが、こうやって恥じらってみせるのもまたポーズで、本当に誰も見ていない世界というのがあったら、ひとりで引きこもってゲームでもやって、衰弱死するまで麻薬でも打っているような気もする。見栄なんだよな、結局。

 ネット上で「毒舌」をウリにしているサイトは数多いが、実は単に揚げ足をとっているだけ、というのばかり。今にブログだらけになって、オリジナルを発信する人間は絶滅するんじゃないか。

 某所でも書いたが、インターネットは「本当の情報」を得ようとする場合には、むしろ役に立たない場合が多い。インターネットで拾えるものは、完成された学問のエッセンスではなくて、人々の未整理の感想とか、誰かを騙そうとする「お得な情報」ばかりだ。だって考えてみてもらいたい。本当にお金になるものを誰がタダでみんなに使わせてあげようと思うだろうか?パソコン好きの中には、役に立つものをフリーウェアとして供出してくれている人も多いのだが、もともとパソコンが苦手な学問の大家たちが、無償で自分たちの知識を公開するなんて考えにくい。
 確かにインターネットは情報収集の手段を変えたが、今のところは手段が変わっただけで、内容は退化している観すらある。「名作あらすじ事典」で読んだ気になっているのと一緒だ。言ってみれば、名作というのはプロセスや細かい表現が素晴らしいのであって、文学作品の基本的な筋立てなんて、そんなにバリエーションが多いものじゃない。固有名詞だけ憶えてどうする?
 いわゆる「情報ソース」を探すときには、やっぱり新聞社のサイトとかをアテにしてしまう。あれだけ「マスコミ不信」を訴えておきながら、現実的にはそうならざるを得ないのは情けない限りだ。「新聞社のサイトはウソだらけだが、個人サイトは意味のない情報だらけ」という現実。

 というようなことを考えていたら、15分も経ってしまったので寝る。
 「マニアックな憂鬱」に書きたいことは最近たくさんあるのだけど、うまく文章にならなくて困ってしまう。
 


...




My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail Home