マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

「ラスト・サムライ」感想(完全ネタバレなので要注意!) - 2004年02月01日(日)

「ラスト・サムライ」を観てきました。
公開からもうだいぶ経っているにもかかわらず(まあ、土曜日のレイトショーで、1200円だったってこともあるけど)、8割くらいの客入り。僕の地元の映画館としては、かなり異例だと思います。

以下、その感想です。
例のごとく激しくネタバレしているので、未見の方は読まないほうがいいです。

(1)オールグレン大尉(=トム・クルーズ)

 過去の原住民虐殺に対する罪の意識からアル中になってしまった大尉ですが、日本の「武士道」に触れて、勝元と行動を共に。彼も「死に場所を求めている人間」という意味では「ラスト・サムライ」だったのでしょう。ただ、逆に彼の境遇を考えると「武士道の魅力にとりつかれた」というよりは、「失恋して自暴自棄になった男がオウムにハマった」というような感じ(要するに、耽溺する対象が、酒から「武士道」に替わっただけではないか?)を受けるのも確か。彼はこの物語の中では「狂言回し」であり、アンタッチャブルな存在なのですが、あまりにオールマイティすぎるかな、という気もします。いくらなんでも、ラストシーンで天皇の御前に出られるとは思えないし。
 世界史マニアの立場から言わせていただくと「テルモピレーの戦い」を引き合いに出しているわりに、彼の戦術はチープ極まりないし。どう考えても勝つ気があるならあんな大平原に陣取るのはおかしくて、山間の狭い道に陣取るべきです。実際に「テルモピレー」では、そうやってペルシアの大軍をスパルタ王レオニダスは迎撃しています。一度に大勢が通れない道であれば、大軍も機能しないので兵力差が埋めやすい。まあ、最初から「玉砕覚悟」だったのかもしれませんが、それならあんなセコイ火玉を使った火計なんてやらずに、正々堂々騎馬で突撃して散ればよかったのに。まあ、映画的には平原での戦闘シーンのほうが盛り上がるに決まってはいるんだけど。

 そして、いちばん信じられないのはラストシーン。あのシチュエーション(勝元軍総討死)の状況で、オールグレンただひとり生きて還ってきたら、小雪はじめ村人たちは、正直、彼に対してあまり良い感情は持てないと思う。もちろん、表立ってそういう態度は示さないかもしれないけど、普通は「生きて帰ってくるなんて、やっぱり『侍』じゃないな」と感じるでしょうし、あるいは「敵のスパイだったんじゃないの?」と思われてしまうかもしれません。もちろん全部の状況を知っている観客は、彼が生き残ったことにそんなに悪意を持たないでしょうけど、村人たちは戦場の状況なんて知らないわけだから。もし心配した村人が一部始終を観ていて村に報告したとしても、あのあと囚われたであろうオールグレンが生きて帰ってくれば「やっぱり、完全な『仲間』じゃないな」というのが本音でしょう。アメリカ人じゃなければ、100%処刑されている状況ですから。


(2)勝元(=渡辺謙)

 渡辺謙の存在感は、ほんとうに素晴らしい。でも、勝元は本当に矛盾したキャラクター。「武士道」を語りながら、「敵を知るため」と、当時としては信じられないくらい流暢に英語を話す。普通、「武士道」を語るような旧い侍は、「英語なんて毛唐の言葉だ!」なんてバカにするはずです。逆に、そこまで西洋を識っているのであれば、あんなムチャな反逆はしないはずで。
 現代人である僕からすれば、「周りにそそのかされて戦うなんてかわいそう」な気もします。西郷隆盛をモチーフにしたキャラクターらしいのですが、そういう意味では、西郷も「矛盾の人」ではありました。
 でも、東京で元老院の会議に出た後に、彼がひとりで切腹していれば、あそこまでの犠牲者は出なかったかな、とも思うのです。
 自分の身を捨てて部下を助ける、というのは、武士の美徳のはず。
 (現に、そうやって自刃した侍大将は、歴史上たくさんいます)
 もちろん、オールグレンにそそのかされなかったら、彼はそうしていたはずですが。
 オールグレンとお互いに通じるものもあったのでしょうが、いまわの際に英語を喋るというのは、なんとなく違和感があります。「外人と会話しているんだから」「ハリウッド映画だから」ということなんでしょうが、僕は自分が死にそうになったら、その間際に英語の言葉が思い浮かぶような予想はできません。
 「じゃあ、勝元はいったいどうしたいの?」というのもよくわかりませんでした。「西洋の技術を用いつつ、日本人の心を大事にする」ということなら、何もスタイルにこだわる必要はないはずです。刀での戦いだけでは、日本が早晩に列強の餌食になることだって見えていただろうし。オールグレンの項でも書きましたが、本当に勝ちたければ平地での会戦なんて愚の骨頂で、ゲリラ戦が妥当でしょうし、鉄砲でも大砲でも使えばいいのに。
 ただし、彼のような高名な「侍」が、新設された軍隊に敗れたという事実は、歴史の歯車を大きく転換する力にはなるでしょう。
 西南戦争では、当時最強とうたわれた薩摩の武士たちが、新政府の農民上がりの新設軍の前に叩きのめされました。そのことにより、武士は時代の変化を確認することになり、新政府軍は自信をつけたのです。それは、銃火器と西洋式軍隊の「武士道」に対する勝利であり、農民や町人たちにとっては、ドラスティックな時代の変化だったと思います。
「まさか、自分たちが侍に勝てるなんて!」と。
まあ、その「まさか勝てるなんて!」の連続が、日本の軍隊の肥大をもたらしてしまった面もあるのですが。
あと、乗っている白い馬目立ちすぎ。あれじゃ狙い撃ちされまくると思う。

 でも、勝元の生き様、死に様には「美学」があり、それはすごく魅力的であり、僕を惹き付けました。それは紛れもない事実。


(3)おたか(=小雪)

 男が女性に着替えさせてもらうってエロスだなあ、なんて思ったのですが、あの場面でオールグレンとキスしたのは、なんだか違和感あったなあ。「二夫にまみえず」ではないんでしょうか?
 僕的には、キスしないほうが「良い映像」だったのですが。
 予告編では、「小雪、なんか生活に疲れたっぽい雰囲気だ」なんて思っていましたが、映画の中では良い仕事をしていたと思います。濡れ髪って色っぽい。


(4)氏尾(=真田広之)

 なんだかあんまりキャラ立ってなかったですね。最後に腹を撃たれまくりつつも突撃していったのは、ゾンビみたいでした。


(5)天皇

 いくらなんでも、あんなに簡単に直接会話をしたり、ましてや勝元と廊下で歩きながら話すなんてありえません。しかし、彼の立場からいえば、侍たちに同情しつつも流されなかったのは、むしろ立派なのかも。


(6)大村

 典型的な利益誘導型の悪役なのですが、あまりにベタすぎるか。「総攻撃だ!」のシーンは、ちょっと笑いました。あんな指揮官ありえん。
 勝つ事を重視するなら、あのまま遠くから大砲撃ちまくっていれば、相手はどうしようもなかったのに。
 まあ、新しい軍の腕試しという目的もあったのでしょう。そんな目的で突撃させられるほうは、たまらんと思うけど。
 ちなみに、新政府軍が至近距離で鉄砲撃とうとしたり、敵味方入り乱れて乱戦になっているのに第二陣が鉄砲を撃ちこんでいたのには、びっくりしました。味方に当たるって…

 ただし、歴史の流れからすると、大村は必ずしも間違ったことばかりやっていたわけではないような気も。
 そういう意味では、あのタイミングで大村を切り捨てた天皇は、トップとしては非情かつ有能であるともいえるでしょう。


(7)寡黙な侍

 僕はけっこう福本さんに注目していたのですが、なかなか渋い見張り役ぶりでしたね。どんな斬られ方をするんだろうと密かに楽しみにしていたんですが、最後に「オールグレンさん!」と叫んで弾に当たってしまいました。その後の回転しながら倒れる様は、面目躍如といった感じです。
 でも、「最後に一言」というのは、なんとなく「できるかな」のノッポさんを思い出してしまいました。


(8)その他

 風景がとても美しい映画です。それだけでも見る価値はあるかも。日本の田園風景とは、微妙に違う気もしますが。なんとなくホビット庄っぽい。
 あと、矢はあんなに当たりませんし、とくに合戦時にあんなに弓なりに放たれた矢は、ほとんど威力ないと思います(もと弓道部なので)。そりゃ鉄砲のほうが強いって。
 ガトリング銃は強すぎ。ああいうのが、まさに「歴史の流れの象徴」なんでしょうけど、あのまま勝元即死かと思って、一瞬盛り下がりました。
 あれで生き延びるオールグレンにもビックリですが。


<総括として>

 上記のようにツッコミどころはけっこうあったのですが、けっこう楽しめました。「侍の生き様、死に様」というのは、やっぱりカッコいいなあ、とか思ったし。
 とにかく、渡辺謙は目立ってました。もっとも、「ラスト・サムライ」を目立たせるための映画だったんでしょうけど。
 いちばん好きなシーンは、クライマックスの合戦シーン前に、終末の予感を抱かせつつも、村の夜がいつものように静寂に包まれて、虫の鳴き声が響いていたシーンです。
 戦場の中の静けさ、とでも言いましょうか、不思議と記憶に残るシーンでした。戦の前ってあんな感じなんかな、って。
 合戦シーンの迫力もありましたし(先にも書いたように、ああいう戦法自体はおおいに疑問だったけど)、最初のほうの予告編では毎回劇場内で失笑が漏れていたトム・クルーズの立ち回りも、完成版ではとくに違和感はありませんでした。かなり練習したのでしょう。

 現実は映画のように簡単に日本人とアメリカ人が理解しあうことは難しいでしょうし、新政府軍にも十分に理はあると思います。むしろ、信念に殉ずる侍たちの玉砕ショーにつきあわされて戦死した新政府軍の雑兵たちは、ちょっとかわいそうだなあ、とも。
 そして「武士道は日本の心」なんて言いますが、実はあれは「日本のごく一部の人々の心」であって、武士という日本社会のひとにぎりの階級の人々のなかの、さらに少数派の人々の行動原理でしかなかったのです。
 多くの武士たちは、維新にともなって刀を捨てて就職したりしているのですから。
 まあ、だからこそ「ラスト・サムライ」は美しい。

 ただ、「日本人はこんなに凄かった!」というような解釈は、ちょっと身びいきしすぎで「日本人のなかには、こういう『武士道』に準じた人たちもいた」というのが正しい理解の仕方なのではないかなあ、と申し添えて置きます。

 アカデミー賞云々はともかく、2時間半退屈することなく観られますし、「ラスト・サムライ」は、素晴らしい作品だと思います。ドラマ性もあるし、アクションシーンも満載。

 それにしても、渡辺謙はやっぱり目立っていました。
 上映後に「もし渡辺謙以外で、勝元役を探すとしたら、誰がいいだろう?」っていうのを考えてみたのですが、どうしても渡辺謙に代わる人は思いつかなかったものなあ(一応、候補として緒方拳とか名前が出たけど、何か違うし)。



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