大雪の日に車を運転するような人生 - 2004年01月23日(金) ここは九州だというのに昨日は朝から雪が積もっていて、この地域の交通網は麻痺しまくっていた。 僕は当直先の病院から職場に行くために大雪の中チェーンもなしに車の運転をしたのだが、これは本当に怖かった。車は滑りまくるし、カーブを曲がりきれなくなりそうになるし、坂で停まったら動けなくなりそうになるし。 実際に事故を起こしたり、坂の中腹で停まった車もたくさんいたし。 しかし、後になって冷静に考えてみると、あの日の朝、大渋滞していた車の中に、「絶対に今やらなければならない仕事」を抱えていた人は、僕も含めて、どのくらいいたのだろうか? 実際に僕も、いつもなら30分の道を3時間かけてなんとか辿り付いたのだが、実際に仕事場についたときには、もう運転だけで疲労困憊、何もする気力が起きなかった(そして、実際に上の先生が来られなかったり、仕事の材料が来なかったりで、ほとんど仕事にもならなかった)。 よく考えたら、そんな状況で「絶対に仕事場に行かなければ」なんて考えるのは「思い込み」でしかないのだ。僕が「危ないから道路の状態が安定してからいきます」と言ったところで、状況はほとんど変わらなかっただろうし、到着時間そのものだって、そんなに変わらなかったはずだ。 でも、そういう「自分が行かなくては」というような「思い込み」に僕たちやこの社会は支えられているのかもしれないが。 なんだか、こういうのって、人間の生き方みたいなものなのかもしれない。 生きていれば、雪が積もって身動き取れないような時期もあるはずだ。 そういうときに、「大雪を克服して何かをやらなくては」と考えるのは、本当に正しいことなのだろうか? 実は、多くの「大雪の日」というのは、少し待っていれば溶けてなくなってしまう。たいがいの問題は、時間をおけばたいしたことではなくなってしまう。 それが本当に「溶けてしまうもの」かどうかを判断するのは難しいことだけど。 にもかかわらず、僕たちはムリをして、本当はその必要もないのに、ムリに車でどこかに行こうとして事故を起こし、後で雪の無くなった道路を見て、「なんであんな雪の日に運転したのだろう?」と自問自答するのだ。 今日は明日のカンファレンスのため、ちょっと離れた場所にいるのだけれど、ここは、ちょっと寒いけど雪の欠片もない。 場所が変わると、「どうしてあそこは、あんなに雪が積もっていたのだろう?」なんて疑問に思うこともあるだろう。 苦境なんて、大部分はそんなものだ。 そんな偉そうなことを言いつつも、現実にはやっぱり僕は雪の日にも車を出してしまうんだけど。そうして「ムリをしてまで仕事に行く自分」に酔うために。 そしてたぶん、日本中が同じように酔っているのだ。 まあ、本当は「いつ雪が降ってもいいように、チェーンとそれを装着する技術を身に付けつつムリをしない」というのが正解なんだろうけどさ。 ...
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