マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

坂本竜馬を市川染五郎に演らせたのは誰だ? - 2004年01月02日(金)

 少しだけ、テレビ東京の「竜馬がゆく」を観ていた。
 でも、全然ダメだったなこれ。
 テレビ東京の長時間時代劇といえば、「壬生義士伝」(渡辺謙主演)という傑作があるだけに、ひょっとしたら、とちょっとだけ期待していたのだけれど。
 どうしてこんなダメダメドラマに松たか子や松本幸四郎が出ているんだろう?とエンディングのキャストを観ながら思ったくらいだ。
(身内の染五郎が主演だからなんですね、きっと)

 僕の坂本竜馬に対する知識というのは、多くの日本人と同様に、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に拠るものなのだが、あの作品を読んでいて感じるのは、坂本竜馬という人間の想像もつかないような「人間の大きさ」なのだ。言葉にするのは難しいんだけど、「何も考えていないような人」であり、「この人のために何かしてあげたいと思ってしまうような人」、というような。
 日本の歴史上の夭折した人物で、「この人がもう少し長生きしていたら、歴史が変わったかもしれない人」を挙げるとすれば、織田信長と坂本竜馬なのではないかと僕は思っているのだ。

 しかし、市川染五郎の竜馬は、あまりに「軽い」竜馬だ。ミスキャストも甚だしい
 最後まで、「この人が坂本竜馬?」という違和感を拭い去ることができなかった。切れ切れにしか僕は観ていないとはいえ、10時間もやっていたドラマなのに。
 なんというか、「器の広さ」とか「得体の知れない感じ」が染五郎竜馬には、全然感じられないのだ。いつもイライラしているみたいだったし、何かに追われているようだった。大仰な割には、迫力が全然ない。要するに「小人物」なのだ。
 全然ダメ!

 最後の暗殺のシーン、司馬遼太郎は、「歴史上の出来事」として記録しているだけで、アッサリしすぎるくらいに簡単になぞって筆を置いている。
 でも、このドラマでは、結末をつけないと、ということなのだろうけど、中途半端に触れてしまって、かえって「尻切れトンボ感」を増す効果を出している。あんなのなら、描かないほうがマシだろう。
 「何で竜馬は刀を抜かなかったんでしょう?」って、「油断してたから」だとしか判断しようがないんですけど、あの描き方だと。

 歴史を描くことは難しい。最近では、この間の「秀吉」といい、北野武監督の「座頭市」といい、現代劇的なアプローチが試みられているような印象がある。確かに、歴史上の人物も、当時は「現代人」だったわけだから、あまりに歴史的習俗にこだわるより、「人物を描くこと」を重視したほうがいいのかもしれない。
 でも、今日のはちょっと酷かったな、あまりにも中途半端。
 これを10時間全部観た人なんて、いるんだろうか?

 まあ、そう簡単に役者に演じられるようなら、信長でも竜馬でもないわけだが、それにしても今日の市川染五郎は酷かった…

 さて、「新撰組」はどうなんだろう?
 三谷幸喜は、「竜馬におまかせ!」の失敗を生かせるだろうか。



 
 


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