「書く愉しみ」の代わりに失ってしまったもの - 2003年12月23日(火) 今、「シティハンター・完全版」をずっと読んでいる。 あらためて読んでみると、いろいろ考えてしまうところがあるのだ。 考えるといっても、例えば「車が走るシーンはこんなふうに描くのだなあ、とか、悲しみを表すときのコマ割りは、こんな感じなのだなあ、とか、そういうことだ。 少なくとも僕がリアルタイムで「シティハンター」を読んでいたときは、ただ「面白いなあ」とか「また『もっこリ』かよ!」とかいう感じで、純粋に楽しんでいたような気がする。 大学のとき、鳥山明の原画展を観たとき、ちょっとびっくりした。 その原画には、「定規で引いた真っ直ぐな線」が、一本も無かったから。 「描く」というのは、大変な作業の積み重ねなのだ。 小説の読み方も変わってきた。 「面白い」と感じる前に、このシーンは、こんなふうに描くのだなあ、などと思うことが多くなった。もちろん、参考にするというよりは、ただただ感心するばかりなのだけれど。 でも、「上手い!」という気持ちが先に立ってしまうのは、あんまり良いことではないよね。 素人なりに「書く愉しみ」を得た代わりに失ってしまったものは、けっこう大きいのかもしれない。 もっと素直にいろんなものを楽しみたい、と最近、心から思っているのです。 ...
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