マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

「緊張する自分」との付き合い方 - 2003年12月15日(月)

 僕はこう見えて(見えないですね)緊張するタイプなのです。
 大学時代弓道というスポーツをやっていて、唯一自分の役に立ったと思われるのは、「自分は邪念が強くて、緊張しやすい人間だ」という事実確認ができたことくらいなのです。
 けっこう練習していたのにもかかわらず、もともと才能がない上に「せっかく練習してきたのだから、結果を出さなくては」と自分で自分にプレッシャーをかけて緊張してガチガチになってしまい、さらに結果を出せなくしてしまってたんですよね。弓道というのは、メンタルな要素が非常に高い競技で、狙いが1mmずれたら、矢は全然違う方向へ跳んでいくものですから。
 それでも、自分より練習してない人がどんどん結果を出していくのが悔しくて。
 「緊張しないためには、どうすればいいのか」そんなことをずっと考えていました。
 でも、「緊張しないようにしよう」とずっと考えているのって、子供が「無心になろう」と思って「無心…無心…」と唱え続けているようなもので、結局、邪念でしかないんですよね。

 僕は結局、楽しい大学時代を犠牲にして、ひとつの結論に達しました。
 「自分は緊張する人間なのだから、それは仕方がない。なら、緊張して普段の半分の力しか出せないのなら、本番に半分でも足りるように、あらかじめ他人の2倍の準備をしておこう」って。
 実際に2倍の準備なんてできなかったのですが、そう考えることよって、だいぶ気分はラクになりました。「緊張するのは仕方がない」と思えるようになると、意外と緊張しても大丈夫なものです。失敗しても「練習が足りなかったから」と一元的に考えることができますし。

 結局、僕の弓道人生は実りなきものに終わったのですが、そういう考え方ができるようになったのは、ひとつの収穫だと思うのです。
 そういえば、引退して何年かあとに、OB会で弓を引く機会があったのですが、それはもう、ひどいものでした。怖くてまともに引けないのです。
 そんな自分に苦笑しながら、僕は少しだけ嬉しくもあったんですよね。
 他人に誇れるような結果は出せなかったけど、あのときの僕には、それなりの「努力の成果」があったんだな、って。


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