マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

どうしてこんなに「ヤワラちゃん」が苦手なんだろう? - 2003年12月12日(金)

 昨日は一日中(ほんとうに24時まで!)仕事だったのだが、ひとつだけ幸運だと思ったことがある。
 おかげで、ヤワラちゃんこと、谷(旧姓・田村)亮子選手の結婚式の映像を観なくて済んだことだ。イヤ助かった。
 正直、苦手なんだよなあ、ヤワラちゃん。

 彼女は、見た目はそんなに可愛い感じではないけれど、努力家で、精神的にも強い人だと思う。それに、みんなの期待に応えるために、日夜研鑽に励んでいるのだ。

 それで、なんでこんなに僕はヤワラちゃんが苦手なんだろう?と考えてみたのだけれど、その最大の原因は、彼女の「確信性」にあるのだと思う。
 子供の頃から、ずっと他人の期待を背負い続けてきたからなのかもしれないが、彼女の「他人の期待を受ける態度」というのは、まさに「完璧」なのだ。
 テレビのインタビューで、「応援してくれる人たちのために、頑張ります」と誰かが答えているシーンを観ると、僕はそこに、大なり小なり「演技」を感じる。
 「テレビだから、観てる人にウケるようなことを言っておこう」とか「まあ、騒いでくれるのもオリンピックのときだけなんだろうけどさ」とか「これで『ジャンクSPORTS』にでも呼んでもらえないかな」とか。
 だいだいどんなスポーツ選手の受け答えにも、なにがしかの邪念という要素が含まれているものだ。

 でも、ヤワラちゃんは違う。
 彼女は、「日本国民が自分のことを応援している」ということを「確信している」ように見える。その「応援してくれる人のために」という言葉に、僕は邪念を感じることができないのだ。
 だからこそ、ものすごく怖い。
 そんな人間って、ありえないような気がするから。
 普通「でも、妬んでる人もいるだろうな」とか「柔道に興味ない人だっているだろうけど」というような、口に出せない気持ちって、なんとなく滲み出てくるものじゃないですか?

 今回の結婚でも、ヤワラちゃんは終始大喜びだった。
 画面の向こうで僕たちが、「こんなプレッシャーをかけられちゃ、谷選手はかわいそうだよなあ…」なんて、密かに同情していたことにも、全く気がつく様子はなかった。
 そして、パリでの結婚式(観てないけど)。

 普通に考えれば、ヤワラちゃんは、「勘違いしている人」だ。
 でも、その一方で、僕はこんなことも考える。
 「天才にも挫折はあって、みんな挫折を乗り越えていく」とか言うけれど、ごく一握りの本当の天才というのは、結局、挫折に直面することもなく、平然と壁をぶち壊して進んでいくのではないか?」と。
 「誰にでも挫折がある」なんていうのは、凡人の慰めにしか過ぎないのではないか、と。
 
 僕がヤワラちゃんを苦手なのは、たぶん、彼女が「確信を持って生きている人」だからなのだろう。
 彼女の行動が全部「演技」で、「ヤワラちゃんやってるのも、結構大変なのよね〜」とか言いながら、家でゴロ寝しながら、ヴァージニアスリムとかスパスパやっててくれたら、むしろ僕としては好きになれそうな気がするんだけど。



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