ピラミッドを造った人たちと歴史的な「正しさ」 - 2003年11月03日(月) 今日の昼間、半分仕事をしながら、TBSの「ピラミッドの謎」という番組を観ていた。なかなか興味深い番組だったのだが、なかでも白眉だったのは、「ピラミッドを造っていたのは、『奴隷』ではなかった」というところだった。 この番組によると、ピラミッド建設に関わっていたのは、農閑期の地方の農民たちを基盤とした職人集団で、彼らは、「無理やり働かされていた」わけではなかったらしい。 まあ、徴用されてはいたみたいだが、少なくともムチで追われてひどい生活を余儀なくされていたわけではないみたい。 彼らは、働きに応じてパンやビールや肉なども与えられ、外科手術まで行われていたというから、僕たちがイメージするような「奴隷」じゃない。 また、ピラミッド建設には、農閑期の公共事業と土木技術の地方への伝播という役割もあったらしいし(現場で技術を覚えた職人たちが、故郷に帰って技術を伝えていく)。 歴史というのに対して、僕たちは、現在の視点で語りがちだ。 大昔に、あんなデカイ建物を造ったのは、奴隷に違いない、って最初から思ってしまうんだよなあ。 しかし、あれが公共事業だと考えれば、あれだけたくさんのピラミッドが継続的に造られていったのも理解できるというものだ。 逆に、奴隷や市民を酷使しまくった秦は、15年で滅亡している。 「ヒトラーは最悪の独裁者だ」というのは、現代では一部の信者を除く人類全体のコンセンサスなわけだが、当時の不景気にあえいでいたドイツ国民の多くは、ヒトラーを「演説の面白いオッサン」くらいには考えていたとしても、「人類史上最悪の独裁者」だとは思っていなかったはずだ。 だからこそ、あれだけ支持されていたわけで。 オウム信者にしても、「いかがわしい」と今の僕らは思うけれど、リアルタイムでは、あの教えに「救い」を求めた人がたくさんいたのだ。 僕たちが、現在「正しい」と思っていることが歴史的に「正しい」かどうか判断するのは、本当に難しい。金正日総書記だって、ある意味、プチ始皇帝(むしろ胡亥か?)なわけだし。 実際、「正しくないことをやろう」と思っている民衆なんて、そんなにいないはずだからなあ。 結局、「運」と「思いやり」なのかなあ、などと考えてみる。 P.S.フジテレビのバレーボール中継は、わけのわからない煽りマイクの人が、まるでパチンコ屋みたいで不愉快です。 ...
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