ひとりでできるもん(2)。 - 2003年10月03日(金) 昨日は、「ひとりでできること、できないこと」について書いたのだが、ひとりできる、できないが明確に分かれる代表格が「ひとり旅」だろう。 そういえば、僕はあまりひとり旅の経験がない(仕事関係の出張は除く)。 もともと出不精なので、誰かと一緒に行く旅行ですら、出発前日には「家でゴロゴロしてたほうが良かったかなあ…」なんて思い悩む性質だし、やっぱり、旅先でトラブルでもあったら面倒くさい、という気持ちもある。 それでいて、帰ってきたら、いくぶんかのリップサービスも含めて、周囲の人に旅行自慢をしてみたりもするのだが。 しかし、そんな僕でも、大学時代に一度だけ「ひとり旅」をしてみたことがある。 まあ、バックパッカーなどに言わせれば、「そんなの旅じゃない」かもしれないけどね。 行き先は北陸。石川県(というか金沢)と福井。 しかし、ひとりで特急の座席に座っていると、妙に隣の人が気になる。 正確には、「隣の人が自分をどう見ているか」が気になってくるのだ。 これが、誰かと一緒だと、視点は基本的に一緒に旅してる人たち中心になる。 金沢に着いて、兼六園を巡っていると、外国人の人などに声をかけられた。 やたらと、「写真を撮ってくれ」と頼まれるのだ。 ひとりでホテルの近くの定食屋に入ってみたりもした。 さして美味しくもないラーメンとチャーハンだったが、妙に大人の味がした。 地元の人が、カウンターの奥のほうで野球を観ながら酒を呑んでいた。 翌日は東尋坊に行ったのだが、ここでは、自殺志願者に見られていないか、なんだか視線がやたらと気になった。自殺の名所らしいし。 そして、閉館時間間際の水族館に入ったのだが、「魚に見られている感じ」というのをものすごく味わった。 併設されていた動物園の檻の中を掃除していた飼育係の女の子は、僕に向かって微笑んでくれたような気がして、ちょっとドキッとした。 本当にただ、それだけのことだったのだけれど。 ひとりで旅行すると、他人の顔がよく見える。 ひとりで旅をすると、自分が見えるというか、自分を客観視できるような気がする。それに自分の都合でスケジュールを動かせるというのは、開き直ってしまえばけっこう気楽なものなのだ。 ひとりたびの魅力が、なんとなくわかったような気がした。 とはいえ、それ以降、僕はひとり旅には出ていない。 結局、面倒だから、というのが先に立ってしまうのだ。 やってみたら、意外とラクだし、すごく自由になった気がする。 というわけで、一度だけでもひとりで旅行してみてよかったと思う。 やればできる、という妙な自信にもなったし。 ただ、旅の記憶を誰かと共有できないというのは、旅先での寂しさ以上の問題なのかもしれないけれど。 ...
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