ひとりでできるもん。 - 2003年10月02日(木) 「今週のスプリンターズS、馬券一緒に買いにいきましょう」 そう言われて、ちょっと困惑してしまった。 率直に言えば、「どうやって断ろうか」と考えていたのだけれど。 世間には、何でも他人と一緒にやりたがる人というのがいるものだ。 まあ、中学生の頃の「連れション体験」なんてのは、おそらく大部分の人が持っているのではないだろうか。 あれも今から考えたら「愚の骨頂」という感じのものなのだが、まあ、当時はそれなりに意味があったものなんだろうな、きっと。 とりあえず、恥ずかしい場面を共有することによる連帯感、みたいなものはできるのかもしれない。 僕は基本的に、馴れ馴れしくするのもされるのも苦手だ。 とはいっても、別に僕自身は独立心旺盛で、「そんなこともひとりでできないのか?」とリュックひとつで世界を放浪するような人間なのではなく、正確には、「他人に馴れ馴れしくされたときに、その馴れ馴れしい態度になんとか馴れ馴れしく応えようとしてしまう自分がイヤ」なのだ。ただでさえ気を遣った上に、自己嫌悪に陥るなんて割に合わない。 だから、女の子がとなりに座るクラブなんてのは苦手。 隣の席の女の子に、「この子、僕なんかについて退屈じゃないかな?」とか考え込んでしまう。どっちがホステスなのか、よくわからない。 もちろん、そのあたりの機微をうまく察知してくれる女の子だっているわけだけど、それでも、対費用効果を考えると、ゲームでも買ったほうがいいや、という結論になってしまう。 僕は、基本的にギャンブルはひとりでやるものだと思う。 大人数で行くほど勝てなくなるし。 仮に、僕と彼女がパチンコに行ったとしよう。 勝率はそれぞれ50%(まあ、わかりやすくするために)。 それで、結果はどうなるかというと、 (この場合、便宜的に「トントンの収支」という状況は考えないことにする) (1)2人とも勝ち〜25% (2)どちらか一方が負け、一方が勝ち〜50% (3)2人とも負け〜25% の3パターンが、結果としてありえる状況だろう。 (1)は文句なしの勝ち、(3)は文句なしの負けだ。 これに異存がある人は少ないだろうと思う。 問題は、50%の確率で起こりうる(2)の状況だ。 こういうところに、人間の考え方の方向性というのは顕れる。 要するに、自分が勝てば彼女が負けてもいいやと思う人、自分が負けても彼女だけでも勝てばいいやと思う人、そして、自分が負けるのはもちろんイヤだし、彼女だけ負けても彼女に気を遣うからイヤだ、と思う人に分かれるのだ。 僕はもちろん最後のパターンなので、1人で行くと勝率50%でも、2人で行けば実質勝率は25%に低下することになる。 もちろん、自分が10万勝ち(現在のパチンコで、短時間軽く打つ程度でこんなに出ることはまずありえないが、ものの例えとして)で、彼女が1万円負けとかなら、「勝ち」にしてしまってもいいのだけれど。 それに、誰かと一緒にいると、負けて不機嫌でも、新聞をゴミ箱に投げつけたりできなくなるのでストレスが蓄積するし。 というわけで、僕は誰かとギャンブルに行くのは苦手だ。 馬券を買うときに、「そろそろ帰ろうか」なんて、急かされるのもイヤだし、急かすのもイヤ。 僕が競馬場好きなのは、適度に考え事をしながらボーっとできる場所だからなのです。 しかし、よく考えてみたら、深津絵里が「競馬、行こうよ」と僕に言ってくれたら、「行く!」と即答するだろうから、単純に「誘ってくれた相手が苦手」ということに尽きるのかもしれないなあ、協調性なくてゴメン。 まあ、基本的にギャンブルは1人でやるものだ。 もちろん、最初は誰でもひとりでは行きにくいから、誰かに連れてってもらうのは構わないけれど、その場合は「損して当然」という意識で行かないとダメです。 そして、本当に競馬が好きかどうかは、「ひとりで行けるか?」という点に尽きるのではないか、という気もするなあ。 ところで、「ひとりでも行ける場所と行けない場所」といえば、僕の友人(男)に以前、「男ひとりでファミレスにはよく行くけど、近所のラーメン屋には入れない」という話を聞いて驚いたことがある(彼は、別にラーメンが嫌いなわけじゃない)。 「小さなラーメン屋は、雰囲気が殺伐としていて入りにくい」と、彼は言うのだけれど、僕のイメージとしては、男1人でファミレスのほうが、よっぽど入りにくいと思うのだけれど。 考えてみれば、店の雰囲気の明るさや空間の広さ、メニューの豊富さは、ファミレスのほうが勝っているような気がする。 でも、グループで来ている人が大多数の空間にひとりでいる気恥ずかしさ、みたいなのが僕の自意識にとっては辛いのですよね。 ...
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