5つの憂鬱のカケラたち。 - 2003年09月28日(日) <ひとつめの憂鬱> 最近君からのメールが来ない。 たぶん、君も僕からのメールが来ない、と思っているんだろう。 きっと、そうだと思う。 でも、そう思って悩む前に、僕は一通のメールを送ってみるべきなのだ。 たとえ、「うざい」と思われていたとしても。 そんなことを考えているうちに今日は終わってしまう。 そして、悩みぬいた僕がようやくメールを送ったときには、君にとって僕は「うざい」存在になってしまっているのだ。 <ふたつめの憂鬱> 法律は弱いものの味方だ、と考える人は、法律を作る人がどんな人たちなのかを考えてみるといい。 <みっつめの憂鬱> 美味しいものを食べるのも、好きな野球チームを応援するのも、みんな逃避に過ぎない。 では、逃避じゃないものは何か?と言われると、よくわからない。 生きるというのは、逃げ回っているようなものなのかな、と思うこともある。 <よっつめの憂鬱> 原監督の辞任について思うのは、僕たちが「才能」とか「能力」だと思っているものは、けっこう環境と偶然の影響を受けているということだ。 江戸時代にイチローが生まれていても、メジャーリーガーになれるわけもないし、トンガにブーニンが生まれていたら、ピアニストにはなれなかっただろう。 だからといって、全部環境のせいにして何もしない、という選択肢は虚しい気もしてしまうのだ。 それで頑張った結果、原爆をつくって仕舞う可能性もあるわけで。 <いつつめの憂鬱> 「他人の悪口を書くのは好きじゃない」と書いた時点で、結局、「他人の悪口を書いている人」の悪口を書いているのだということに気がついた。 ...
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