「らしくないヌード」とレッテルを貼られる辛さ。 - 2003年09月19日(金) 池脇千鶴さんのヌードの話題は、前回の日記「必然性があれば、脱ぎます!」の「必然性」の謎。」です。 でも、あんまり期待されても困ります。 ところで、前回の日記を書いたとき、「『必然性』という言葉に千鶴ちゃんは騙されてるんじゃないか?」と僕は書いたわけなのですが、ひょっとしたら、それは僕の思い込みなのかもしれません。 この程度の弱小サイトでも、長年やっていると、いつも読みにきてくださるお客様(以後「常連さん」と呼ばせてください)が、いらっしゃるわけなのです。 もちろん、それは非常にありがたい存在なのですが、僕は、ときどき困惑することがあるのです。 僕は文章の中で、いろんなものを褒めたりけなしたりします。 喜んだり落ちこんだりします。 そんな中で、ときどき「そんなの、あなたらしくない」という反応をいただくことがあるのです。 たぶん、僕という人間に対して、ものすごく良いイメージを持ってくださっているんだと思うんですよね、その方々は。それは、ほんとうにありがたいことです。 自分自身でも、「話題になる(生臭く言えば、アクセスを稼ぐ)ために、悪ノリしすぎたかなあ、と反省することも多いのです、実際。 でもね、正直言って、「あなたらしくない」って、「僕が自分で書いているんだから、『らしい』も『らしくない』も無いだろそんなの」と感じることもあるのです。 それなら、あなたが「僕らしい」文章を僕の代わりに書いてくれればいいわけで。 そういう「らしくない」面だって、僕の立派な一面なのです。 こんな小さなサイトで、ごくたまにしかそういう目にあわない僕でさえ、そういうふうにレッテルを貼られるのは、けっこう辛い。なんで自分のことを他人に決められなくちゃいけないんだ! 僕の何万倍も「清純派」とかいうレッテルを他人から貼られている池脇さんなどは、さぞかし辛い思いをしているのではないだろうか? 「私のこと、みんなで勝手なイメージで決め付けないで!」って。 それに対する反抗の方法として「ヌードになる」ことが正しいかどうかはわからないけれど、「らしくない」という周囲の反応は、彼女にとっては、してやったり、なのかもしれない。 僕は画面の向こうの彼女しか知らないけれど、やっぱり、実際の自分と周囲の自分に対するイメージとのギャップに苦しんでいたのかなあ、などと思ってみたり。 まあ、「本当の自分」なんて、自分でもよくわからなかったりするものですけどね。 お知らせ:新サイト「いやしのつえ」絶賛(ということにしといて)公開中! ...
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