マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

さよならにっぽん - 2003年09月08日(月)

 成田からサンフランシスコに向けて飛んでいる飛行機の中で、なんとなくこのフレーズが浮かんできた。
 大友克洋、という作家との出会いは、僕がまだ中1のときのことで、通っていた塾の先生(眼鏡をかけた、ちょっとインテリっぽいお姉さんだった。たぶん大学を出てすぐくらいだったと思う)が、授業が終わった後に職員室に屯していた僕たちに「この本、知ってる?」と言って、見せてくれたのが「童夢」だったのだ。
 僕たちはその普通のマンガの単行本よりちょっと大きなサイズのページをパラパラとめくりながら、「大人のくせに、マンガなんて読むの?」とかひとしきり、先生をバカにしたのだが、そのリアルというか、いささか執拗なようにすら感じられる(とくに、老人の顔にはインパクトがあった)絵には、かなりの衝撃を受けたことを記憶している。

 それから、僕の周りには、大友克洋がときどき現れるようになった。
 「AKIRA」は、中学校の同級生の家で読んだ。そのとき彼が「カルチャークラブ」をBGMに流してくれたのだが、彼らのビジュアルに驚愕したのも懐かしい記憶だ。

 僕は、そんなに熱心な大友信者ではなかったが、作品は一通り読んだし、映画「AKIRA」も観に行った。実は途中ちょっと寝てたりもしたけれど。
 マンガ家・大友克洋は、「世界のオオトモ」になった。
 
 僕の数少ない女友達には、大友克洋ファン(というより、フリーク)が多い。
 幸か不幸か、彼女は「大友克洋って、誰?ああ、アキラの人」というくらいの認知度だが。
 一風変わっていて、ちょっと理屈っぽくて、本人が意識しているよりは普通の女の子たち。
 まあ、つげ義春の追っかけやってるより、大友フリークのほうがはるかに多数派だろうし。

 もしかしたら、あの塾の先生も、もう少し僕と年が近かったら、友達になってくれたかもしれないな、なんて思ってみたり。
 もう、20年くらい前に結婚されたんだけど、今頃どうしているのだろうか…

 こんなとりとめもない回想に浸りながら、僕は日本を離れたのだった。



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