マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

ドラマ「白線流し」の「ここではないどこか」 - 2003年09月07日(日)

 結局、酒井美紀<原沙知絵なのか!
 と、「Love Letter」以来の酒井美紀好きの僕としては、俺もたぶんそうだよなあ、と思いつつ、納得がいかない気分なのです。
 しかしまあ、高校生のときからあまり変わらない(と思っていたにもかかわらず、昔の映像は、さらに若かったけど…)酒井さん。成長しそうで成長しない感じが、魅力なのかもしれません。
 一方、あの年齢にして、既に完成の域に達している(裏を返せば、これ以上の成長は難しいのではないかと思われる)原さん。
 実際には、偶然帰郷してあの川で3人が邂逅するなんてことは、現実にはまずありえないことなわけですが…

 今回のテーマとしては、おそらく、「別離と成長」なのだと思うのです。
 正直、エンディングクレジットが流れている間には、「このあと、渉が帰ってきて園子の前に現れるのではないか?」と僕は予測していたわけですが。
 「お互いに相手のことをいちばん知っているはず」の園子と渉は、今まで、お互いの心の支え。でも、そういう「偶像化されてしまった記憶の恋人」なんていうのほど、美しく、そしてやっかいなものはありません。
 「あの人は自分のことをわかってくれているはず」という信仰は、現実にその相手が自分の身近なところに存在しないことによって成立する概念だからです。
 よく「死んだ奴には勝てないよ…」なんていうのもありますし。
 自分の中でつくりあげられた「虚構」には、現実の人間は、まず勝つことはできません。
 実際にずっと付き合っていれば、所詮他人だよなあ、と感じるところがあるのが当然でしょうし。
 それに、人は変わっていきます。プラスにもマイナスにも。
 別れることによって、永遠になってしまう関係だってあるはず。

 「いちばん好きな人とは結婚できない」なんて言いますよね。
 僕は、「いちばん結婚したい(もしくは、するべきと感じている)人と結婚している」のであって、「いちばん好きな人」とは、別の場合だってあるのかなあ、と思います。
 毎日食べるのなら、焼肉よりオニギリのほうがいい、なんて。

 しかし、この「白線流し」は、フジテレビの思惑としては、「北の国から」みたいな、出演者の実年齢を追っていくような大河ドラマにしたい意向があるみたいなのですが、それもなんだかちょっとなあ、という気もするのです。
 だってねえ、ドラマチックな続きを作ろうとすれば、再開した渉と園子のドロドロの不倫劇とかになる可能性だってあるわけですし。
 そんなの観たくない…
 
 このドラマ、男子高の生徒だった僕にとっては、心のトラウマを引っかきまわされるような(要するに、自分の人生に欠落してしまったものを見せつけられるような)ドラマでした。
 当時ですら、「こんな高校生は、もう絶滅してるよ」なんて言われてはいたのですが。

 まあ、それにしても、「食い足りない」感じがしたのも事実。
 僕がやたらと脂っこくストーリーが詰め込まれている、「刺激的」なドラマに慣れすぎていたせいなのかな。

 それにしても、なんでいつもこんなに不幸なんだ酒井美紀…
 そろそろ幸せに…でも、幸せになってもらいたくない気も…
 「白線流し」には、いくつになっても「ここではないどこか」を求めながらもどこへも行けないっていう、ごく普通の人間のやるせなさを感じるのです。
 とくに園子って、その典型例。

 とかいいつつ、先日ダウンタウンの番組で、酒井美紀さんは、何十万円かの家具を「衝動買いしちゃいましたぁ」なんて喋ってたから、実生活はそんなに不幸じゃないみたいなんですけどね、念のため。



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